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9月29日:風邪と内P

「内村プロデュース復活SP」に向けて9月は生きてきました。 バランスのよい食事と6時間以上の睡眠を日々心がけ、ストレッチと軽いエクササイズも取り入れながら、これ以上ない心身の健康をキープ。万全の状態で放送日の28日を迎えるつもりでした。 しかしその前々日である26日朝。 前日の夜にめずらしくスパークリングワインを飲んだので、起きるのしんどいかなと少し心配があったものの、8時半ごろスパッと目覚めた私は自分で自分を褒めながら、日課を済ませてPCの前に着席…したのも束の間。あれ?のど痛いな…。のどというか、鼻の穴の突き当たり(これよく言うけどどの辺りかわかってもらえてるんだろうか)。風邪を引くと最初に症状が出るのはいつも扁桃腺か、この鼻の穴の突き当たりです。 寝てるときに口で呼吸しちゃってたのかもしれない。だから乾燥してるだけかも。時間が経てば和らぐさ。と言い聞かせていたんですが、これがずっと痛い。ずっと痛いし、だんだん体が熱くなってきてる気がする。うせやんやめてよ。念のため測ってみたらサヨナラバイバイ37.3℃でした。なんだ微熱じゃんって思われるかと思うのですが、平熱が低めなので、これだけあればもうちょっとフラついてしまうのです。 お昼の12時前には布団に戻り、結局そのまま28日まで寝込むはめになってしまいました。丸2日くらいか。27日はまーしんどくて、熱は上がったし脳も腫れるし夜になってもしんどいままだったので、これは長引くかもしれないと若干の覚悟を決めました。体が痛いときは悪化を予測するよね…。 でも結局、放送日当日の夕方にはキッチンでサタデーナイトフィーバー踊れるくらいまで回復! これもひとえにすいみん・食事・チョコラBBを疎かにしなかったこと。そして内Pへの熱い想いが風邪ピッピを燃やしつくしてくれたのだと思います。 内Pはもうめっちゃ面白かった。ちゃんと内Pだった。 私はトロントへ内PのDVDをごっそり持っていったくらい内Pが大好きで愛してて、本当にこの日を楽しみにしてたのです。 と同時に、楽しみにしすぎないように気をつけてもいました。期待している形とまったく違うものになっている可能性だってあったからです。 でも、ちゃんと内Pでした。ちゃんとみんな体当たりでむきだしで容赦なくて、私はずっと大笑いしていました。内村さんの名前リールが回ったときは泣きそうでした。 も

9月17日:トロントの思い出(6)

 再開します。これまでは以下リンクより (1)   (2)   (3)   (4)   (5) どこまで書いたっけと前回を見返して、そうカラオケバーね! 今はなき Sushi Queen の2階にあった場所。 懐かしすぎてYelpのリンクを貼っちゃいました。 Sushi Queenはチャイニーズのご夫婦が経営されてたSushi restaurant。その2階にはカラオケができるバーもありました。 カウンターが5席くらいと、4〜6人掛けのテーブル席が4つくらいのこじんまりとしたスペースで、一番奥には小さなステージがあって。日本のカラオケはカラオケ「BOX」だから、グループごとに個室へ案内されるでしょ?でもこのバーのステージはオープンなのです。そこにいるお客さんみんなの前で歌を歌います。 働くガールズは私を含め5人でした。 トロント暮らしが長い人が3人。結婚されてた人もいたかな?最近ワーホリで来ましたって人は私ともう一人の2人だけで、彼女とは一緒にシフトへ入ることも多く、とても仲良くしてもらいました。 Poolのとても上手な子で、何度も教えてもらったし、お店がなくなってしまったあと彼女が働きだしたPool barへも遊びに行きました。お祭りへも行ったなぁ。恋の話もたくさんしました。私は恋多き女だったので笑 いつも話を聞いてもらっていたし、彼女も当時の彼と大変なことがあったり、新たな出会いがあったりして、そんな話を聞かせてもらったりね。 当時私がとっても恋していた人が来てくれたことがありました。自分から来るような人じゃなかったから、きっとめっちゃ誘ったんだろうな。 居合わせた常連さんが後日「いい顔してるヤツじゃん」と言ってくれました。 勤務期間中に閉店してしまって、働いていた時間は短かったけど、たくさんの出会いと思い出をくれた場所でした。 閉店だよ!みんなお疲れっしたPartyを開いてくれたんだよ。素敵なオーナーだったなぁ。勤務時の賄いも欠かさず出してくれてたしね。 ちなみにライブのMCや配信などでたまに話している「土曜夜のタクシーと激突事件」が起こったのは、このバーでの勤務の帰り道です。 お店があったのはQueen Streetという繁華街のど真ん中で、金土の夜は人もタクシーも往来が多いのです。そんな中チャリで帰路を爆走していた私は、乗客が開けたドアと激突して宙を舞いま

9月15日:そういえば嫌われる勇気って本売れたよね

今日は昼からいろいろあってちょっと疲れたのでもう寝ようと思う。 私は人の希望や期待になるべく沿うよう、応えられるような返事をし、行動をしてきたつもりなんだけど、応えたくないときは応えないという選択をしたほうがいいと考えるようになった。 それで気付いた。 前までの自分は人の期待に応えたかったのではなく、応えなかったときにガッカリされたり(「させる」ではないのがポイント)、嫌われたりするのがいやだったんだ。 相手が誰であろうと好かれたかった。 浅ましい奴だ。 私はついに「自分という人間を知ってほしい」という願いを意識し、行動するようになったのかもしれない。 (好き嫌いは結果ではないということ) かえで