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11月12日:トロントの思い出(7)

思い出という名の古酒。美味しいね。 トロント1年目はカフェとカラオケバーでのダブルワークで埋め尽くされていました。音楽がやりたくて、英語で歌いたくて行った英語圏で、とにかく働き酒を飲み。歌ったことなんて働き始めてからほとんどなかったんじゃないかな。 音楽プロデューサーを名乗る人に会ったことが一度だけありました。その人もネットで知り合った人だったので、どこまでが本当だったのか今となっては謎です。カフェで落ち合ってコーヒーを飲んでから、プライベートスタジオだと言う場所へ行ってセッションをしました。やらしいことは全く起こらず会ったのも一度だけだったので、彼は本当に一緒に創作活動ができる人を探していて、私はそのお眼鏡にかなわなかったのかもしれません。 しかしこのホイホイ具合、まじで危ないよね。 前にも書いたけどよく無事で、暴力も強姦も監禁も殺されもせずにいたなと思います。 今のTeenや若い世代の人には本当に真似して欲しくないマネをしてました。 人はそれぞれいろいろな性質を持って、己の欲望と社会の常識の狭間で生きています。 葛藤します。葛藤から抜け出し、どちらかを優先させることに決める人もいます。 必ず人を疑えとは思わないし、危ない橋を渡ったり賭けをしないと得られない経験や成果・報酬もあると思います。 でも私がやってきたことは相当危なかった…というか、取り返しのつかないことになっていてもおかしくなかった。 そういうのも結局、後になってわかることなんですよね。 私は何者かに守られていたんだと結構本気で思ってます。 さて、私がカナダに入ったのはワーキングホリデービザです。 有効期限は1年。 この貴重な1年がバイトと酒で過ぎようとしていた直前、ある女性に出会いました。 私と同い年だった彼女は、現地の大学に通う日本人留学生でした。 音楽やりにここへ来たんだよね、と話すと、彼女は言いました。 「ちょうどボーカルを探してるバンドを知ってるよ。日本人と日本に繋がりのある人たちでやってるサークルがあるの。一度集まりに来てみない?」 なにNANIナニ!!!??? 私はもちろん二つ返事で、次の集まりへ参加する約束をしました。 かえで

11月8日:指先の先

Youtubeへ上げている動画へ低評価がついたり、ポジティブではないコメントをもらいはじめました。 小林楓を知らない、私という人格を認識していない人にもやっと見てもらえるようになってきたぞ…と震えています。 2007年、トロントへ渡ったくらいのときに、NHKのある番組に出演したものが放送されました。 Dufferin streetに借りていたシェアハウスの一室でその番組の2chスレを見ながら、私は盛大にヘコみました。批判ばかりが書き込まれていたから。今でも覚えているのは「ブサイク」と「おばさんみたいな尻」笑。おばさんておまえ!こちとら二十歳だっつーの(当時)。落ち込みに落ち込んで、人前に出るのが怖くなって、数日間部屋へ引きこもってしまったことを覚えています。 低評価なコメントをもらうのが今より一年前だったら、やっぱり盛大にへこんでいただろうな。 今の私は少し違ってて、人前に出るということは様々な意見が飛んでくるということを理解しています。実生活で関わりがないから、人格を持った人間だと認識されていない。だからいろいろな意見感想が投げかけられる。 褒め言葉や激励だけをもらえる場所から、やっと足を踏み出せた。 一層がんばっていかなければ! かえで

10月29日:天秤

新しいものを得ることと旧いものを失うことは等価交換である。 我々には2本の腕しかなく、その腕に抱えられる物事の数は限られている。 何らかの理由で3本以上もしくは1本以下の腕がある人も結局は同じことだ。 何かを抱える腕がある限り、抱えられる何かの数は限られている。 旧いもの、 以前から抱え続けてきたものを心から大切にしていた場合 それをずっとずっと長い時間抱えているとして、そこに澱みは生まれないのだろうか。 新しいもの、 抱えているものをいつも循環させたい場合 旧いものを捨て続け、新しいものを得続けることで歪みは生まれないのだろうか。 今抱えているものがとてもとても大切でずっと抱えていたいと願っていたとしても、それがずっと腕の中にとどまり続けてくれるとも限らない。 「それ」の思いは「それ持ち」知らずであるから。 本日の所感です。 失うことは悲しいけど、それを恐れすぎずにいたい。 かえで