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7月, 2017の投稿を表示しています

SVO(C)

人は花を植える 人は歌を歌う 人は楽器を演奏する 人は食べ物を売る 人は本を読む 人は本を書く 人は排泄する 人は蔑む 人は讃える 人は肩を組む 人は妬む 人は憎む 人は許す 人は受け入れる 人は愛す 人は主語だけでは生きられない 人は動詞と目的語と補語がなくては生きられない 私はビールを飲む 私は寝る。 動詞と目的語と補語がなくては生きられない という発想は、 言葉が存在するからこそあるものなのかなー 楓。 ぐう --------- 小林楓◆活動報告所 http://www.kaedekobayashi.com Twitter https://twitter.com/kaedekobayashi Instagram https://www.instagram.com/kaedekbys/ 

少女の力

日本はつくづくロリコン文化だなと 広告(特にポスター)を見るたび思っている。 風邪薬の美女、 「ダメ!絶対!」の少女、 選挙権18歳に引き下げの少女(これはけっこう衝撃だった)、 その広告に対してこのデザイン そしてモデル選定。 いったいどうやって紐付けてるんだろう? と思うことがよくある。 と同時に、 「少女」が持つ力はなんかスゲーということを 私は知っている。 何ていうんですか、求心力。 存在感。 透明感。 みずみずしさと同時に、 あやうさみたいなものも。 今日、ふらりと歩いていた街角のバブルティー屋さん。 テラス席にはふたりだけ、セーラー服の女学生。 目がいくのである。 そして想像する、会話の内容、笑顔の理由、 話す二人の関係性。 昼下がりのがらんとしたテラス席、 赤と白を色調とした椅子とテーブル、 日陰のいちばん濃いところに向かい合わせる2人の少女。 なんつーか絵になるのである。 そのふたりがOL風だったら。 お母さん風だったら。 男子学生だったら、サラリーマンだったら、 いろいろとパターンを変えて考えてみるが、 いっとう絵になるのはやはり「少女」だ。 (次点、おじいちゃん) 「少女が持つ力」は一体どこから来るんだろうなぁ。 しかもその力って結構ユニバーサルで、 例えば 女の子アイドルグループのファンに女の子はたくさんいるけど、 男の子アイドルグループを男の子が好きになったりってあるのかなぁ とも考える。 いつか『日本におけるロリコン文化と「少女」の力』という 論文を書きたいと思っていたんだけど、 今日のバブルティー屋の一件で胸中を開放したくなったので このブログでした。 もともとロリコン文化なんてものは存在せず、 私という一個人がただ単に 「少女」に対してコンプレックスを抱いているだけ説も濃厚。 ほんとうなら 会田誠さんの作品「あぜ道」を冒頭に貼りたかったんだけど、 著作権とかアレしたらあれなので 良かったら画像探してみてください。 ちなみに、昨日久々に見た 「ダメ!絶対!」最新と思われるポスターは 武井壮さんによるモデルでした。 どうしてビフォーアフターみたいなやつにしないのかな? 楓 ---------