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2月, 2022の投稿を表示しています

2月24日

「戦争というあやまちを人間は繰り返す」 戦争=あやまち この方程式を疑ったことなんてなかった。 でも今日ニュース見てて、ハッと 戦争をあやまちだと思ってない人もいるんだ その人にとっては、戦争とは何かを手に入れる、成し遂げるための手段なんだ だから繰り返すんだ って気付いて。 言いたいことがありすぎて文章になりません。 冷静な言葉がひとつも出てこない。 お願いだから早く終わって。 たった100年生きるか生きないか、あっという間の命同士なんだから、笑って暮らせる道を探そうよ。 地球は一個しかないんだから分け合おうよ。 奪ったら奪い返されるだけだよ。 暴力は長い目で見てなんにもなんにもなんにも解決しないよ、、 かえで。 くるしい。

2月23日

心を動かした景色や心の中の風景を観察しながら、その様子を言葉で表現しようとする。 単語やちょっとしたセンテンスを書き出してみる。 メモ帳や、A4のコピー用紙なんかに。 するとあら不思議。 さっきまであんなに鮮やかでピチピチしていた風景が、 紙の上に書き出されたとたん、死んだように色を失う。 ああ、この言葉はだめだ…。 またふさわしい言葉を探しに行く。 体の内側に張り付いたフジツボをひっぺがして、その裏側や形状、大きさ、色をくまなく確認する、みたいな作業を繰り返す。 ほとんどのフジツボは、紙に並べるとすぐ死ぬ。 死骸があまりにも並びすぎて、この漁港はもうダメかもしれん、と思う。 漁師としての腕も、これが限界か。と諦めかける。 よろよろしながらフジツボを確かめる。 どうにか捕獲し、並べる。これを続ける。 そうすると、並べても生き続けてくれるフジツボがぼちぼちと現れてくる。 あまりにもたくさんのフジツボの死骸が並ぶので、フジツボ漁師として向いてないんじゃないか?と毎回思うし もう捕りつくしてしまって、新しいフジツボなんかいないのかもしれない とも思うんだけど、 それでもまた探しに行ってしまうんだよね。。 探しに行かなきゃいけないときもあれば、 気付いたら探しているときもある。 ほんとフジツボって不思議ですよ。 ところでフジツボってどんな見てくれだっけ? と画像検索したら、大集合な写真ばっかりでギャッてなりました。笑 蓮コラを思い出した。なつかしい。。 かえで

2月20日

高校3年の頃、「小論文」のクラスを選択していました。 推薦での進学を目指す生徒に向けたものだったのかな。 週に1日2限か、2日で4限か、時間があったような記憶です。 ○○について、400字詰めx4枚で記せ。 それが通常の課題でした。 私は文章を書くことが好きでした。 それでいて、はったりがとても上手でした。 特に真剣に考えてもいない「社会への貢献」について、それらしく書くのがとてもうまかった。 教科担任の先生。 名前は覚えていないけどビジュアルは忘れないだろうあの先生。 太い黒縁メガネの、いつもジャージを着ていたちょっと天然パーマでひょろ長い体躯のあの先生のスイートスポットに潜り込む小論文を書くのがとっても上手な、 クソ小狡い生徒だったんです。 でもね、あるとき お題がどういうものだったのか、覚えてないんだけど 私は自分が「すぐ模倣する」ことについて書いたんだよね。 「模倣した表現を自分の根底から生み出したものとわざと思い込んで、自慰的快感に浸る私の醜さ」まで書いたと思う。 …たぶん、卒業が近かったんでしょう。笑 そしてそれを読んだ黒縁メガネの先生は、「面白い」と言ってくれたの。 「そこまで自分を吐露するか?大変興味深く読みました」というような赤ペンを入れてくれた。 なんでこんな話をするかって言うと、 私は今、自分の表現について考えているからです。 この「どうでもいい日記」も、ラジオも終わらせて SNSも捨てて 日常に関するあらゆる表現を音楽に集約させてみたいんです。 …あれ? じゃあ試しにそうしてみればいいよね? 。。。書いてみたらすっきりしてしまった。 今年はいっぱい変化があるかなぁ かえで

2月18日

新しい曲を公開しました。 「天翔ける蛇」という曲です。 「2月中に始めます」と言ってた新しい何かの、その始まりが本日でした。 さて、どこまでできるか。。 やってみます。 ダウンロード販売もしています。 よろしければぜひぜひ。 https://kaedekbys.bandcamp.com/track/amakakeru-hebi-ver-sky かえで

2月16日

用事があって、トロントにいたときの写真を引っ張り出してました。 思い出は頭と心の中にあって、いつだって思い出せているはずなんだけど、その思い出の現物、、というか、視覚でもって当時の画を見るっていうのは、ものすごい刺激でした。 写真に写っているその瞬間に紐付いた他の記憶が、ババババーって脳を走るのよね。 記録というのは、残しておいたほうが後々楽しめるってもんです。 あんまり楽しくってさ。 その写真をさらにスマホで撮って、仲間たちに送信しまくってました。 思い出テロ。笑 トロントで使っていたカメラは、出発の直前に父が買ってくれた一眼レフでした。 東京へ来てからもしばらく持ってはいたけど、いつの間にかなくなってた。 数度の引っ越しのどこかで捨てちゃったんだろうな。 カメラほしいな。 手始めに写ルンですからいこうかな。 かえで

2月15日

今夜と明日は休みにしよー。 だからいつもより飲んじゃおう。 と思って、さっきお酒を買うてきた。 ビールを数本と、 ずっとワインが飲みたかったので、飲みきりサイズのスパークリング。 …。 でもスパークリングまで手が届かずに寝ちゃいそう。 ここ数年は、「お疲れさま」のために飲んでる。 それより前は、酔っ払いたくて飲んでたのかもしれない。 だから飲む量が減ってるのかな。 ふわふわしながらふわふわ時間を過ごせれば、それでいいので。。 かえで でもたまにはハードに飲みたい。 クラブとか行きてー!

2月14日

バレンタインの苦い思い出。 小学4年生の頃、好きだった男の子にチョコレートをあげました。 場所は図書室。 ひとりで渡す勇気がなくて、2人くらい友だちに一緒にいてもらった気がします。 どうにか呼び出して、がんばってチョコを渡したんだけど、 その後見てしまったのは 誰もいない教室で、泣きながらランドセルにチョコを入れてる彼の姿。 ああ、嫌だったんだな。。。。。 と、とてもショックだったのを覚えてます。 他の人を呼ばずにひとりで渡してたら、彼も嫌じゃなかったかなぁ。 泣くほど嫌われてた、ってわけじゃないと思うんだけど…。 毎年この時期になると、必ず思い出しちゃう。 近年、彼に会う機会が何度かありましたが 「何であのとき泣いてたの?」 …なんて、とても聞けず。 いまだに怖いらしいです。 次に会うことがあっても、たぶん聞けないと思う。 でもこの話を別の同級生にしたら、 「男はそんな出来事、絶対覚えてない」って言われました。 そういうもの? かえで

2月13日

どうしようこの書類。 いちおう、とっとこうかな。 何か必要になるかもしれないし…。 〜1年後〜 その間一度も開かず、捨てる。 そんな本日でした。 かえで

2月11日

ちくちくと作ってます。 今月から Youtube と bandcamp 連動で、あることを始めます。 もう少しで開始できる見込み。 今日、平野歩夢さん金メダルでしたね! おめでとうございます! 新潟出身の方が活躍するのは、やっぱりシンプルに嬉しいです。 スポーツって年齢的な限界があるし、 明確な順位も決められるから 音楽よりずっとずっとシビアな世界に見えます。 そんな中で素人が見てもわかる結果を出すには、 いったいどんな日々を過ごしてるんだろう?と 試合の映像を見るたび思う。。 どんな練習をしたらあの速さで滑って、あの高さを飛べて、 しかも空中でクルクルできるのか。 まっっったく想像できない。 今夜は宴かなぁ! そして頭の端では、もう次のことを考えていらっしゃったりして。 かえで

2月5日

自分自身を否定しきって自傷行為がやまないADHDの少年が、キャリアチェンジ犬を家族に迎えたことによって徐々に落ち着いていき、夢かと思われた高校進学まで成し遂げた、という話を「坂上どうぶつ王国」でやっていました。 キャリアチェンジ犬というのは、介助犬の訓練を受けてたけど適正がなく、その道を降りた犬のことだそう。 キャリアチェンジ犬を迎えたことで何が変わったか、迎える前は自分や世界をどう感じていたかなどを、少年が自分の言葉で語ってくれるシーンがあって、エピソードのひとつにハッとしたものがありました。 「どうしてオズ(彼が迎えたキャリアチェンジ犬)には心を開くことができたのか」 という意味合いの、インタビュアーからの問いに対して、 彼は答えて曰く。 「今まで、周りの人たちは誰もが自分の悪口を言ってるだろうと思ってた。 でも、オズは犬だから、悪口を言うはずがないって思った」 映像の中のオズは少年の顔をなめまくり、甘えまくり、一緒に走りまくっていました。 オズが人間だったら、 「こんな仲良い風にしてるけど、僕がいないところでは僕の悪口言ってるんだろ?」 っていう思いが、どうしても生まれてしまうんだろう。 でもオズは犬だから、人間の言葉を話さないから、悪口の言いようがない。 疑わなくていいことで、余裕が持てる心の部屋がひとつできたのでしょう。 もうこれって、お医者さんとかカウンセラーとか、人間がどうにかできる問題じゃないじゃないですか。 オズが人間の言葉を話さない=人間じゃないから、少年はひとつ救われた。 人間がいて、犬がいて、猫がいて、鳥がいて、トカゲがいて、 空があって、海があって、電柱があって、ビルがあって、 それぞれの種族の中でも個体差が無数にあって、 みんなが違ってるから、言葉も考え方も生き方も違うから だから傷つけ合うけど、 だから補い合えるんだきっと。 人と違うことで悩んだり、それで責められたりするけど、 人と違うことこそ客観視して、認めて、じっくり育てていけば 自分のため。 ひいては他人のためになるんじゃないかと思ったのでした。 番組のつくりで気に入らなかったことも書きます。笑 少年を「人になじめない、社会になじめい人」 オズを「介助犬になれなかったおちこぼれ」 みたいな対比表現をしていたこと。 そのふたりが出会ったことで奇跡が起きた! というわかりやすい見せ方

2月2日

味覚について、やたら思いを馳せてる最近です。 もし味を感じる器官が胃にあったらおいしくもなんともないだろうなと思いながら、とんかつの後のチョコケーキを食べてる。 — 小林楓/Kaede.KBYS⚡️ (@kaedekobayashi) January 29, 2022 この時は何も考えずにこれツイートしたけど、 そもそも食べ物を消化する気管で初めてそのものの味を認識するなんてあり得ないよね。 原始において味覚は、美味しいか不味いかの前に、安全か危険かを判別するために使われていたと思うの。 危険な食べ物は、胃で消化され腸で吸収されたら終わりで、体調不良、もっといけば死に繋がる。 つまり、体の中へ取り込む前に、味覚=舌でそのものが安全なのかそうでないのかを判別しなければならなかったはず。 胃で味を感じてたら遅すぎる。笑 人が感じる基本の味は5つで、 「甘味」「酸味」「塩味」「苦味」 そして「旨味」だそうです。 家庭科で習った気がするなぁ。 …「旨味」の曖昧さすごくない? 何を「旨い」と感じるかは人それぞれだよね。 (人それぞれを超越する、普遍的な「旨味」ということ?うそやん) それはまあ置いといて、 この5つの中で「危険」のイメージと結びつきそうなのは「酸味」「苦味」な気がします。 でもじゃあ、「甘味」「塩味」が「安全」のイメージに結びつきそうかって考えたら、それもそれで違う? だってさ、「美味しい」=「安全」じゃないし。 「不味い」=「危険」でもない。 味の如何と安全性はイコールではない。 私が気になったのは、 味覚っていうのはいつから備わった機能なんだろう?ということです。 きっと調べれば研究があるだろうな。 何も調べずぺらぺら書いています。 あとね、舌は味覚を感じるために形成された気管なのか、 それとも発声・言語の発達によるものなのか、っていうのも気になりました。 味と言葉、どっちが先? いや味か。。 だって、しゃべらなくても生きれるけど、食べれないと生きられないもんね。 かえで 突然おわる。(ねむい)

2月1日

「どうして人を殺しちゃいけないの?」に対する答えを、ちょっと前から常にうっすら考えています。 誰もが納得できる、誰もを説得しうる、 たったひとつの答えがあるはず。 ついさっきまで、一番の有力候補は 「自分のものではないものを勝手に奪ってはいけないから」 でした。 自分のものではないもの=他人の命、ということ。 でもこれだと、自分で自分を殺すのは許容されることになるのかなー なんか不足してるな…と うっすらもやもやしてたんだけど、 さっきシャワーを浴びながらハッとなった、別の案。 「自分の人生がめちゃくちゃになるから」 倫理的にどうかと思う案ではあるんですが、 軸が自分にあるタイプ(他人の為ではないタイプ)の理由として、説得力ある気がする。 人を殺したいという気持ちが暴走しかけている時ってもうすでに、 奪ってはいけないとかそういう、外に向けた気持ちを持てない精神状態にあるはずだから、 殺しちゃいけない理由を自分の中で完結させて、殺さないという選択を取るには 「自分の人生がめちゃくちゃになるから」 この理由はなかなか有効だと思う。 …でも、すでに未来を見ていない人にはまったく効かないんだけど。 そう。そうなんです。 ありとあらゆる状況にいる人に働きかけられる「殺しちゃいけない理由」なんてないんです、きっと。 だから、ありとあらゆる状況を想定して、その状況にそぐった答えをいくつも用意しておくしかないんだろうな。。 誰もが納得できる、誰もを説得しうる、 たったひとつの答えなんて無い。 人が人を殺してはいけないっていう考え方って、いつ頃から生まれたものなんでしょう? そしてそれが法律として初めて定まったのはいつ頃なんだろ。 法が先なのか、宗教が先なのかっていう疑問もあります。 「殺したい」はたぶん本能に近い。 「殺してはいけない」は理性。 かえで