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3月, 2024の投稿を表示しています

3月29日(金):トロントの思い出(5)

ホステルにいた10日間のうちにネットで見つけたシェアハウス。1階は中国人のご家族がお住まいで、私を含む3人の日本人で2階をシェアするスタイルでした。 シェアメイトのひとりは、ちょっとだけ年上の「姉さん」。小柄でスタイルが良くて美人で明るい。話好き。 ALDO の靴が好き。 もうひとりは姉さんと同い年くらいだった「兄さん」。DJをやっていて、レコードをたくさん持ってた。温厚で背が大きい。キャップとオーバーサイズファッション。 我々の距離感は絶妙だったと思います。近づきすぎず、でも離れすぎず、一緒にご飯を食べることも飲みに行くこともあったけど、「仲良くやってこうぜ」みたいな熱い感じはなかった。 3人っていう人数も良かったのかもしれません。人数が多くてもっとワイワイしていたら、そこだけの付き合いで生活が満たされちゃってたかも。 居心地のよい家を手に入れ、次の課題は仕事でした。 日本から持ってきたお金は大した額ではなく、すぐ働きはじめなきゃいけなかったし、何より目標としていたのは「ライブミュージックのある場所で働く」こと。 そういうところで働けば、ちょっとお前歌ってみなよという話がいつか立ち上がり、やがて歌えるようになるのでは!?という夢を描いていたのです。 「toronto live music bar」の検索ワードでお店を探したり、街を歩いて「hiring」(働く人募集中)の張り紙を探したり。それらしき場所を見つけたら、履歴書を持って突撃です。「ここで働かせてください!」私は千と千尋の千か。でも本当にやっていたのです。 でももちろん結果は散々。英語もろくにしゃべれない馬の骨を雇ってくれるチャレンジ精神旺盛なお店なんて、そうそうあるものではありません。 それと同時にやっていたのは、ネットの掲示板に「私を雇ってください」ポストを載せること。 「21歳日本人、女、音楽のある場所で働きたい、ゆくゆくは歌いたいです」。 これ、私よく無事だったなぁ。笑 仰天ニュースでやってそうな惨劇ドキュメンタリーの導入部分みたいですね。 でも本当にやっていたのです(2回目)。 当然というか何というか、なかなか働く場所は見つかりませんでした。 仕事が決まらないことには街をブラブラしてみる気にもなれなくて、とにかくまずは生活の基盤を作らないと…!と、いったん音楽から離れた職場を探すことにしました。

3月27日:果てしない

果てしなさすぎて… 音楽の仕組みも、歌うことも、言葉も、ボールを投げて捕ることも、 夜眠ることさえうまくできないというのに ちょっと打ちのめされています。 夕飯につくった「大根もち」は美味しくできたから 今日は及第点としよう。 そうしよう。 かえで

3月24日:トロントの思い出(4)

私がトロントへ行くことにした理由はそもそも「英語圏で音楽活動をしてみたい」と思ったことでした。 新潟でのバンド活動の中で洋楽と出会ったのが英語に興味をもったきっかけで、英会話スクールに通ったり、短大の英文科へ進んだり、新潟に暮らす外国人のコミュニティに参加したりと私の周りはもう英語だらけで、その頃には歌うも聞くも英詞の曲ばかりでした。 「では一体どうやって音楽活動をするのか」というところをまったく考えずに現地まで来てしまって、どう考えても無鉄砲な行動だったのですが、やっぱり縁は存在するようで、ホステルで出会うのです。同じように、トロントへ音楽活動をしに来た日本人2人組と。 DKさん・DCさんは二人とも私より年上で、ギターも歌もとても上手な兄さんたち。 英語も堪能でした。 DKさんにギターを弾いてもらって、近くのバーでやっていたオープンマイク(エントリーすれば誰でもパフォーマンスできるイベント)で「Bye Bye Love」を歌ったのが、私のトロント初の”ライブ”だったな。 音楽以外にも、ホステルのキッチンでパスタを作ってもらったり、ギターを持ってモントリオールへ旅行へ行ったり、チャイナウンのレストランでチップが足りないと怒られたり。 ホステルを出た後も私たちは一駅しか離れていない場所に住むご近所さんで、いっぱい遊んでもらったし、DCさんにボイストレーニングをしてもらったこともありました。 ボイトレしてもらってたDCさんの部屋。 トロントへ行ってすぐに二人に出会えたことはとても幸運だった。今ではもうなかなか会うことはできないけど、いつだって会いたいし、二人のことも二人と過ごした思い出も、大切な宝物です。 宝物、って書いて気付いたけれど。 トロント生活が終わってからもう14年が経とうとしているのに変わらずあの頃のことを話してしまうのは、大切な宝物を宝箱から取り出して眺めたくなるからかもしれないな。 そしてその宝物を人に見て欲しくなるの。 日本に帰ってきてからはお金も時間もなくて遊びにすら行けていないけど、ずっとずっと大事な場所だし、もう一度縁を持ちたい。と強く、いつも変わらずに思っています。 さて かけがえのない出会いに締めくくられ、10日間のホステル生活がそろそろ終わりに近づいてきました。住む家が決まったのです。 ダウンタウン中心部から北東に少し外れた地下鉄Duffe

3月22日:トロントの思い出(3)

「Canadiana Backpacker's Inn」。 ダウンタウンのメインストリートの中のひとつであるQueen Street(東西に走る道)とSpadina Avenue(南北)の交差点からほど近いホステルから、私のトロント生活は始まりました。 私の部屋は二段ベッドがふたつある、女性4人の共同部屋。一番乗りだったので、入ってすぐ右にある方の一段目に自分の荷物を、ベッドの下にスーツケースを置きました。 ホステルを選んだ理由はもちろん費用を抑えたかったこと、そしてそれ以上に期待していたのはほかの宿泊客とのコミュニケーションでした。 だから1人部屋じゃなく共同部屋を予約したし、宿泊客が好きに過ごせるダイニングでいろんな国からやってきた人と話してみたいと思っていた。週末にはバーイベントがあるみたいだから、そこにも参加しよう!と意気込んでいました。 でも、思い通りにはいかなかった。 まだ誰もいない4人部屋でひとりになった私を襲ったのは、強烈なホームシックでした。 「知らない国にひとりだ」 「知ってる人も誰もいない」 「この先どうなるんだろう」 「帰りたい」 「今すぐ帰りたい!!」 電気もつけず薄暗いベッドの上、日本から持ってきたパソコンをWi-Fiに繋いで、ひたすら続けるネットサーフィン。 mixiかfacebookか、Youtubeで日本のTVの動画を見てたのか…。 とにかく不安で、心細くて。 どうしてこんな大それたことをしてしまったんだろう?知り合いもいない、仕事のあてもない、お金だってそんなに持ってないのに、ひとりで外国へ来るなんて? 知らない街の知らない夜、他人みたいなベッドの上で過ごす夜は本当に暗かった。 こんなことやめて帰ってしまおうか。 初日の夜にして、本気でそう思っていました。 辛かったなぁ。。 いつの間にか眠っていつの間にか暗闇に光が挿して、ひとりぼっちだった4人部屋に3人の宿泊客がやってきました。 そのうち2人はどこかの国から遊びに来たイケイケの美人。「クラブ行ってくる〜♡」と、バッチリメイクとセクシーなドレスで出掛けていきました。 もう1人は韓国から旅してきた少し年上の女性でした。 彼女とは少しだけ一緒にトロント観光をしたな。細身で、髪がきれいで、大きな黒いバックパックと薄いブルーのキャップをかぶってた。たぶん写真が残っています。 彼女た

3月21日:トロントの思い出(2)

初の国際便・13時間のフライトを乗り越え、2007年3月14日、トロントピアソン空港に降り立ちました。 私は「蓋を開ければなんとかなる」派の人間です。 説明書は読まない、説明されてもたいして聞いていない(ゴメン)、手を動かし始めれば間違いながらでも少しずつやり方がわかっていくだろう。 よく言えば楽観的、その実大変な無鉄砲で、トロントへ行く!と決めた時も、事前に準備したのは到着日からしばらく泊まる宿の予約だけでした。 宿があるダウンタウン(繁華街)の地図はもちろん、ピアソン空港とダウンタウンはどういった位置関係で、どのくらいの距離で、どうやって移動するのか。前もって確認する発想はかけらも持ち合わせていなかった私。 現地につけばすべて何とかなる! バスや電車が通ってるようなサインは出ているけど、見知らぬ土地しかも日本でない国で、いきなり公共交通機関を使う勇気はさすがにありません。乗り方もわからないし。。 タクシーしかないか。「TAXI」の表示を頼りに乗り場に向かいました。 自動ドアをくぐって外に出ると、タクシー乗り場にずらっと並ぶオレンジ色のセダン。 おお…日本のタクシーと車の形が違う。 運転席に座る運転手さん、ちゃんとは覚えていないけどアジア人でなかったのは確かで、これは英語だな!当然に!いよいよ現地でのコミュニケーションが始まる…!とドキドキしながら「ダウンタウンに行きたいんだけど」と声をかけました。 どのくらい距離があるかわからなくて、いくらくらいかかる?と聞くと、50ドルでいいよと言ってくれた運転手さん。 …と打ちながら、そういえば相場っていくらくらいだったんだろう?と今調べたら、「50〜60ドルくらい」と出てきました。 お、Honestすぎない!? 明らかに若くて、明らかに下手くそな英語で、明らかに「初めてトロントきました〜」みたいな顔してて(実際そう伝えたし)、相場も距離も全然わかってないアジア人の小娘ですよ。いくらでもぼったくれただろうに…!! 17年の時を超えて感動してます、今。 しかも何もわかってなさすぎて下車時にチップ渡さなかった気がする…。。。 どうか渡していますように。あの時の私…。 日本から来てね〜音楽やりたくてね〜みたいな話をしながら走ることどれくらいが経ったのか。高速らしい道から気付けば景色は街へと変わっていました。 「君が言うホテル、よく

3月20日:今年の3/14は

今年も3月14日を迎え、気が付けばその日が過ぎていました。 3月14日は、2007年にカナダはトロントへと旅立った日。 2007年!17年も前のことになりました。女子高生一人分の時間。 それだけ長い時が経ってもずっと変わらない、私の人生において絶対に忘れられない、大切な日です。 (じゃあなんで「気付けば過ぎてた」なんて乱暴な感じなのかと言うと、今年のこの日は鬱ウェーブにやられてたから) (まあそういう年だってあるさ) 改めて思い出してみようかな〜。 思い出話って楽しいよね。 思い出せないこともあるけど、思い出せるだけいってみよう。 成田からのフライトは16時ごろ発でした。 トロントピアソン空港へ直通、航空会社はエアカナダ。 父と母と私で新潟の実家を出て、まずは東京へ。 父はこの日に合わせて無理くり出張の予定を作ったため笑、スーツでの出発。 何時ごろだったのかな…その辺は全然覚えていません。 国際便ってフライト時刻のどのくらい前に着いてないといけないんだっけ? 東京駅から成田空港までは成田エクスプレスに乗りました。 この時たぶん、姉と兄も合流。 姉は当時修行をしていた名古屋から、 兄は当時修行をしていた銀座から…かな? 家族が揃ったかたちです。祖父は新潟でお留守番。 初めて乗る成田エクスプレス。 乗客のスーツケースをストアするエリアにちょっと感動しました。私これから空港へ行くんだわ。 今は新幹線でもそういう場所ありますよね。当時はなかったと思う。 成田空港へ着いて、お蕎麦屋さんで家族最後の食事をして 飛行機の離着陸を見れる場所で、きょうだいでふざけた写真を撮ったり、両親の2ショットを撮ったりして時間を過ごしました。 そんでいよいよ私が乗る便へのチェックイン。 私は手荷物のほかに、スーツケースを2つ持っていました。 そしてそのスーツケースは完全なる重量オーバーでした。笑 本をむちゃくちゃたくさん入れてたのよね確か…。 いくらなんでも重過ぎるし、あんたこんなに持っていく必要ほんとにあるのかっていうところに空港で立ち返り、チェックインカウンター前でお店を広げる事態に。 恥ずかしい奴だな〜笑 でもその時は恥ずかしいとかそんな隙一切なく、必死でした。 家族は恥ずかしかったかもねっ。ごめんよ! 超過料金がかからないくらいまでに軽くしたスーツケースを預け、家族に行ってきますを告げて

3月15日:甘さ

とちおとめが1パック、冷蔵庫の上に載っている。 うちの近所には信頼できる八百屋がある。そこから買ってきたものだ。 とちおとめと一緒に買ったもの。 チーズケーキ。 チョコパイ。 なんか甘そうな菓子パン。 アイス。 ピノ(これもアイス)。 どうも脳に元気がなく、体にも元気がなく、ここ2・3日プチ廃人となっている。 お砂糖の力で回復を図りたい。 まずチーズケーキを食べる。 その後チョコパイに手をかける。 チョコパイ!なんと甘美な響き。 小・中学校の頃、この菓子を思う存分食べ散らかしたかった。 しかしそれは母に止められていた。ご飯を食べなさいと。 そりゃそうだ。私が親でもそう言うだろう。 菓子を腹一杯食うな。菓子は菓子だ、飯を食え。 そういった制約が与えられることで、より食いたくなるのが菓子である。 大人になり、自分でチョコパイを買うことができるようなった私は好きなだけ食べることもできるようになった。 今日は4つ食べた。 5つは無理だった。あの頃なら普通にいけただろうね…。 今日の作業は締切間近のものだったため、ぐわーっと集中して、気がつけば午前0時前だった。 朝ごはんのあと食べたのはチーズケーキとチョコパイx5。 菓子の糖分におんぶにだっこの1日、でもやっぱりそれだけじゃ満足感がない。何か食べるか新たに…。と冷蔵庫に目をやった。 とちおとめ。 そこにとちおとめがあった。 とりあえず一粒食べよう、そこから何かが始まるかもしれない。 パッケージから取り出し、軽く洗って、頬張る。 。。。 なんだろね〜。 今日食べたものの中で一番甘かった 一番沁みたわ、、、、 瑞々しくてさ、、、、、、 もちろんお菓子もとっても美味しいよ。 でも私、果物好きなんだなー。って思いました。 ジュワッっていうさ、、、、 沁みたわ、、、、、、 その後飲んだマルエフもめっちゃ沁みた。 楓

3月3日:発見

未来に夢を描くことってもしかしたら向いてないかもしれない。 こんな未来を実現したいのに、今こんなにも足りない!と焦ってしまう。 そして落ち込んじゃう。諦めたくなっちゃう。 (中高でコツコツ勉強するくせをつけられなかった弊害な気がする) (マンガもドロップアウトしたしな…) 私は今を頑張りたい 今練習したいし、今作りたい その先でどうなるかとか、どうもならないかもとか考えるから気が遠くなるんだ。 今の私は4/20を人生の最終地点としている。 それでもちょっと辛い。 のと緊張感と、ワクワク感と。 遠すぎる未来を見ない。 見てもせいぜい半年先くらいまで。 未来はその後「起こる」もの。 このくらいがいいのかもしれない、私を生きるには。 今後のための発見。 楓