ボーカルを探してる日本カルチャーのサークルがあるよ、と教えてもらったわたくし。そのサークルは現地大学の大学生によるもので、誘ってくれたその子にお願いして、サークルの集まりへ参加しに行きました。
広い部屋だったな。
真ん中にグランドピアノがでんと置いてあって、椅子は観客席のように並べられていました。
そこにチラホラと人。
メンバーの一人がむちゃくちゃにピアノの上手な子で、彼女の伴奏で私は1曲だけ歌ったような…気がします。
そこにいた人たちはみんな大学生でした。
日本からの留学生、日本で育った他国生まれの人、日本に縁と興味のある人。私だけが大学とまったく関係なかったんだけど受け入れてくれて、みんなとバンドを組むことになりました。
やばい。思い出しながらちょっと…書けないかもしれません。
私はこの日から、このサークルのみんなとたくさん時間を共にしました。
大学内の施設で歌った。食堂でも歌った。イベントへも参加させてもらった。調理室みたいなとこでおでんも作った笑
寮へもお邪魔した。その寮の共同スペースでバンドリハをして、終わったらドアに「Your band sucks(おまえらへたくそ)」という紙を貼られてたこともあった。
飲み会もした。いっぱいした。
みんな本当にどうして、私を受け入れてくれたんだろう。大学の仲間でもないし、歌もへただったのに。
この部分を鮮明に思い出しているのはおそらく初めてで、今かなり感傷的になっています。
私はみんなのことが大好きだったんだな。
音楽周りを特に詳しく書きたいと思っていたんだけど、できないかもしれない。
バンドはやがてサークルを離れて、ギター・ベース・キーボード・ドラム・私の5人バンドになりました。
この5人で、イベントでの定期演奏とか、大学内でのライブとか、引き続きやっていました。ベースは途中でメンバーチェンジもありつつ。CDも作った。ジャケットのデータだけ出てきたけど、音源はどこにあるのかわからない。
この「思い出」を書き始めたとき、こんなな気持ちになるとは思ってなかった。
別に何があったわけじゃないんです。ただ夢中で過ごして、過ぎていった日々です。それだけなんだけど。
言葉にできません。なんだろう、大切すぎて、客観的になれないのかもしれません。
楽しかったし、みんなのことが大切でした。
あかん。
トロントから日本へ戻るときの、出国審査くぐったあとの感じに似ている。
私はあのとき後悔の涙でべちょべちょでした。
どうして日本に戻ることにしたんだろう?
仲間はここにいるのに。
でも日本に行かなければ。帰らなければ…。
このシリーズはここで終わりかも
かえで
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