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12月9日:自分らしく生きる

自分らしく生きろ!とか ありのままでいろ!とか言うじゃん。 私は何が自分らしいのか、どうすれば「ありのまま」なのかわからん。 さっぱりわからん。 考えすぎるところと、考えすぎた上で突っ走るところと、深く考えず実行に移しちゃうところがある。 どれもつまりは自分なので、どの行動を選択すれば”自分らしい”のかわからん。 そんな混迷極める私でも、最近ひとつ、絶対これは言いたい!ということがある。 それは「観察しろ」ということ。 動きを観察する。反応を観察する。なぜそうなったのかを観察する。 他人を観察しても、機敏は想像するしかないので 最もよい観察対象は自分である。 なぜイラついているのか、怒っているのか、喜んでいるのか、ビールを飲みたいのか、何もしたくないのか、私の今はなぜ起こっているのか。 観察して、ジャッジはしない。 しないようにする。 「すぐジャッジする」(正誤の結論をつけたがる)は私の癖だと、長年の観察の上でわかっているので。 なぜこれを書いているかというと、 SNSでねー。 これ書こう!いや書かない?書いても誰も読まない?画像つけないと見てもらえないよ。でも、とってつけた画像つけてもねえ。そもそも書くほどのことでもない。でも何かをポストしたい。いやこんなこと発言したとて。とてね。 みたいなことを延々と考えたのち、結局ポストしないのよ。笑 「いいじゃん!思ったことを、言いたいことをポストすれば。 自分らしくいなよ!」 いや、【延々と考えたのち、結局ポストしない】のも自分らしさなんですよ。 一義的なことは言えないしできない。 「ありのままの自分を愛そう」とかまじで言えない。 言う気もない。 楓

12月3日:大更新期

バタバタとしています。 バタバタしたまま12月を過ごし、気がつけば年末に立っている… そんな近未来予想図。 いま「きんみらい」って打ったら「金未来」って変換されたよ。 ええやん!わかってるね! 寝る前にちょっと上がるテンション。 私ね2020年の半ばにiMacを買いまして、それ以来Macbookと2台でやってきたんですが、先日iMacを売却しました。 MacbookはAppleシリコンでiMacはIntelだったので、Macbookのほうが性能がいいとずっとわかってはいたのです。 でもiMacで作業してたの。音楽制作も画像編集も何もかも。画面が大きかったからね。 Macbookは録音のみに使用してました。 でもこないだ遂に映像編集をMacbookでやってしまったのよね。 そしたら鬼速かった。当然なんですが。 何をしてもスイスイ動く。ちょっと固まるとかない。 ストレスない。 あーーーーーーーー これもうiMacいらんやん…いやわかっちゃいたけど…… ですぐ手放しました。 何だったらiMacとほぼ同時に買ったRealforce for Mac(キーボード)も売った。 そして直後にEIZOのモニターとMac純正のキーボードを買った。 つまりこの数日間で作業環境が一変したのです。 もっと言うと1ヶ月前くらいにマウスも変えました。 なのでほんとに一新、心機一転です。 私はどうやら今、心機一転大更新の時期にあるらしいです。 この10年、どこに行くにも行動を共にしてきたスーツケース(ムーミン柄) これももうボロボロで、今年中に卒業させることにしました。 新潟、大阪、京都、名古屋、静岡、高知、そして都内のライブハウス各所。 ほんとにお世話になった。今までありがとう。 新しい何かが始まるのだろうか? それに向けていろいろなものが入れ替わっていってるのかしら? 明日は下着を全入れ替えする予定です。 おらおらー! 楓 ちなみに普段は同じものを永遠に使い続けるタイプです。 OSとか全然更新しない… つい数日前までBig Surでした。。

11月23日:SNSの今後について

Desperateという英単語があります。 昔「デスパレートな妻たち」というドラマがありましたね。 このデスパレートがDesperateです。 Cambridge Dictionaryでは以下のように定義されていました。 1. Very serious or bad(とてもシリアスに/とても激しく) 2. Very great or extreme(とても激しく/常軌を逸して) 3. Needing or wanting something very much(何かがむちゃくちゃ欲しい、必要としている) He has a desperate desire to be succeed. という例文だと、 「彼は成功に対して、死にそうなほどの欲望を抱いている」 という感じに私なら訳します。 私は自分でつくって歌った曲を販売したり、大好きな曲のカバーをネットにアップしたり、ライブをしたりするようになって、もう随分経つんです。 初めてアルバムを発表してから、実は来年で丸10年です。 この10年、浮かんだり沈んだりイケイケだったりボコボコだったりいろんな時がありましたが、ずっと変わらずに抱いてきたひとつの気持ち。 I want more people to listen to my work and singing desperately. 私はもっと多くの人に私の曲や歌を聞いて欲しいと、死ぬほど思っている。 これです。 desperatre(形容詞)じゃなくdesperately(副詞)になっちゃいましたが、意味に違いはありません。 この思いだけは本当に切実で、浮き沈みやイケイケボコボコは基本これが原因で起きてると言っても過言ではないでしょう。 でも私はこの思いをどう形にしていいのか、どう扱えばいいのか、どう伝えればいいのか、どうしたら受け取ってもらえるのか、この10年わからないままでした。 曲を作ったよ、動画あげたよ、ライブするよ、聞いてね!来てね! くらいしか言えない。言えることがない。 言いすぎてうざがられたら嫌だし、アピりすぎるのカッコ悪い。 言ったところで人は簡単に行動を変えてくれない(=聞いたり、来たりしてくれない)のだから、あまり多く言いたくない。 言って期待した反応がないとヘコむけど、言わないで反応がないならまあ当然だから、その方が傷つかない…と、どこかで思

11月22日:戦争

昨日はドラマ見てる途中で画面がJアラートに切り替わって、死んだと思った。 緊急地震速報もそうだけど、あのこの世が終わると思わせる画面や音はすごくよくデザインされていると思う。 それはともかく さまざまな理由があって攻撃したり戦争したりしなきゃいけないのかもしれないけど、お願いだからもう一般市民を巻き込むのはやめて欲しい。 偉い人の見てる世界はわからないよ。 偉い人たちだけでどうにかしてよ。 例えば一般企業が危機に瀕したとき、被雇用者にはなるべく影響がないよう尽力するでしょ。 別に国民は国家に雇用されているわけではないけど、国家間のよしなには国家の重役間でよろしくできないの? 戦いや欺きも含めすべてが人間の営みなんだとは思うけどさ でも大半の人は、ただ穏やかに楽しく暮らしたいだけなんじゃないの? 少なくとも私はそうだよ 楓

11月17日:世界で初めてはらわたが煮えくりかえった人

小鍋でお湯を沸かしながら 水がお湯に変わっていく、その様をなんとなく見ていた。 鍋の底に泡のようなものが現れる。 渦を巻くように立っては消える。 水面がゆらゆらと揺れてきて、次第に大きくなる。 泡が底から水面へと次々浮かび上がり、その泡はどんどん大きくなってくる。 気が付けば鍋の中はグラグラと煮えていた。 手を突っ込んだらとんでもないことになるだろう。 この様子を見ていて、あー怒りみたいなだなと思った。 頭や胸の中の温度がどんどん上がって泡立って、やがて爆発しそうな熱を帯びていく怒り。 …で、ハッと気付いたのです。 「怒りではらわたが煮えくりかえる」 という表現がすでにあることを。 つまりこの表現をいっっっちばん最初に使った人も、「お湯が沸騰する様子と怒りは似ている」と思ったってことだ。 その時すでに言葉があったか、まだなかったかはわからないけど、スーパー大昔にこの表現を使った人と同じ心境に私は今日至ったのだ。。 ちょっと感動した。 今までは誰かに与えられ、教えられ、降ってくるものだった言葉が、今日初めて私の中から生まれたような気がした。 数年前、言葉での表現についてチンチンに行き詰まっていた私は、何かのヒントになるかなと思って「感情類語辞典」という本を買ってみた。 こういう気持ちを表すには、こういう表現があります。こんなのもあります。という例がズラッと載っているやつ。 ほんとにズラッと並んでいた。すごい情報量だった。 でもパラパラめくってすぐに手放してしまった。 たくさんの言葉が目の上を滑っていっただけ。 その理由が今日のことでちょっとわかった気がする。 あの本に並んでいた言葉は自分ごとじゃなかったんだ。 自分のものとしてとらえられなかった、とらえられるまで粘らなかった。 読んだだけで納得できると思っていた私の考えが甘かった。 今日私は、自分の中から言葉が生まれる感覚を得ることができた。 この感覚を育てていきたいなぁ。 かえで

11月15日:自分らしさとは

自分らしさとは何だろう。 自分らしさとは「奔放であり、自由であること」という先入観が私にはあった。 何にも縛られず、誰の言うことにも耳を貸さず、自分の思ったことだけを信じていく。 それは私からかけ離れていることだった。 私は言葉や前提に縛られるし、すぐ影響を受けるし、自分を疑うことが得意だから。 だから、そこから解き放たれねばと思っていた。 解き放たれれば、自分らしさに手をかけることができると。 でもさっき天啓があった。 夕食にほっけを焼いてた時だった。 私、小林楓の自分らしさとは 「言葉や前提に縛られるし、すぐ影響を受けるし、自分を疑うことが得意」なところなのではないか? 私は、自分自身が過去や歴史や人間関係から独立した存在ではないと知っている。 私は他人と、他人が過ごした時間と、他人の過去と、世界の過去と密接にネトネトと関わって合わさって交わって成り立っている。 小林楓の自分らしさとは、 その関わりについて詳しく知りたい 知らねば自分の出どころがわからない と思っているところにあるのではないか? という気付きが、魚の焼ける匂いとともに鼻の穴から入ってきたのだ。 なんか続きが書けそうで書けないので終わり。 ほっけは大変旨かった かえで

11月13日:ニッキ

初心に戻って、ただの日記を書く: ・朝9時ごろ起床。本当は5時半とかに起きて朝の散歩をしたいんだけど、目覚ましが鳴ったときに外が暗いと、どうしても「まだ寝ててええやん」の気持ちに打ち勝てず。一応目覚ましだけはセットしているのよ。起きれないと知っていながら毎朝。。 ・お湯を飲んでからストレッチをする。 ・朝食をつくる。今日はサラダと、かぶとじゃがいものスープと、食パンにオリーブオイルをかけたやつ。私はかぶが大好きである。かぶ菜がついてるやつが売ってればそれを買って、味噌汁にしたり油揚げと炒めたりする。 ・ラジオの編集作業。足りない部分を追加で収録するなど。 ・歌の練習。12月、大好きなクリスマスシーズンに向けて、いろいろと準備中。 ・ギターの練習。 ・昼食をとる。昨日の夜の残り。 ・大事な人と大事な電話。外を歩きながら。 ・明日以降〜2024年春までの活動計画を練る。大枠はほぼ決まっていて、頭を悩ませるのはだいたいお金の問題である。やりたい形で音楽活動を続けるにはお金がいるのだ。 ・夕食をつくる。茹でた豚バラに大根おろしと大葉を乗せて、ポン酢をかけたやつ。茹でた豚さん大好き。梅干したたいたのとか添えてもいいよね。 ・コーラスとかの録音。 こんな感じでした。 かえで

11月12日:Bongos

Cardi B feat. Megan Thee Stallion「Bongos」ばっかり再生しまくってたら、おすすめもShort動画もCardi BとBongosのダンスカバーで溢れかえってしまいました。 トラックもラップもダンスもビデオかっこよすぎて最高なんですが、特にリリックが好きです。ラップだからリリックじゃなくてフロウと呼ぶのかな。 特に好きなのは冒頭に出てくる 「This pussy is tight like a num」 (あたしのアソコは尼さんみたいにタイト) いや天才か?女性器の締まり具合をシスターの厳格なイメージにかけるなんて、、、という衝撃がこの曲にハマったきっかけでした。 ごめんね、女性器って日本語にすると生々しいね。 でもどう考えても天才。 ラップの歌詞(フロウ?)ってむっっっちゃくちゃよくできていて、いつもカッコいいーーとなると同時に感心してしまうし、どうすればこんな風に自在に言葉を操れるんだろうとも思う。 あとCardiのちょっとファニーな声が最高で、「Neva--da------」「pina--ta------」のとことか独特な「Okay!」の言い方とか永遠に聞いてられる。 Meganさんのことはこの曲で初めて知ったんだけど、 VMAでのパフォーマンス を見る限り強靭なパフォーマーで、ここにもスーパースターが…という感じでした。 かえで

10月16日:コメントはうれしいもの

なんと、この大辺境日記についにコメントをいただきました。 鍾乳洞に向かって唱えるひとりごと、みたいな気分で書いてはいるけど、アクセス数が伸びたりコメントを残してもらえることはそりゃもう僥倖。大僥倖。 Bloggerではコメントへスタンプやいいねをつけることができないけど、確実に読んで確実にニヤニヤしております。 本当にありがとう。 10月に入ってからは毎日あれやこれやあって、自分のライブだったり、呼んでいただいてのライブだったり、配信だったり、飲み会、晩酌、夜更かし、小太り。賑やかに過ごしております。 今日は、コロナちょい前から参加させてもらってるバンドのリハーサルでした。 コロナ真っ盛りの期間はやっぱりあまり集まることができなかったんだけど、最近スタジオに入る回数が増えています。 夜は青木U平氏の漫画原作「ミワさんなりすます」のドラマ初放送があって。 青木さんは私が東京へ来たばかりの時に出会った飲み仲間です。 スタッフロールの一番最初に青木さんの名前が流れたときは、自然と拳を突き上げてました。 なんかさ、みんなどこかへたどり着いているし、マイルストーンみたいなのを踏んでいる。 私の周りの人ってみんなそうなのよほんとに。 ほんとにみんなすごいの。 私もちゃんと何か、掴んだ!と思うことができるだろうか? 明日以降の日々の中で。 まぁでも できるだろうか?と自問しまくると不安になるだけなので、 できるはずだぜ!と決め込んで、チミチミやってくしかねーわけです。 かえで

10月3日:足の爪切り

足の爪。 だいたいいつも伸びている。 足の爪が伸びていると、靴下に穴が空きやすい。 私の足は少々デカめである。 24cm〜24.5cm 靴によっては25cmを買うこともある。 一方、一般的なレディース靴下のサイズは23cm〜25cm。 と表示されている(確か)。 ギリギリこれの範囲内である私の足は、爪が伸びると、靴下に負荷をかけるのだ。 よって穴が空きやすくなる。 しかし足の爪は手の爪に対して、存在感が微妙である。 多少伸びていても生活に支障がない。 そのため、伸び気味になっていることが多い。私の場合。 そんな足の爪へ、今日ひさびさに刃を入れた。 私は足の親指の爪を切るたび、これの硬さに驚く。 爪切りが爪に対してグッと圧力をかける。 反発する親指の爪。 あらぬ方向へヒビが入るのではないか、という程の抵抗を見せる。 実際、えっそんなにエグい角度で切れちゃうの?というくらい切ってしまうことがある。 その感触といったら、かまぼこを板から切り離したら、板にかまぼこが微妙に残っちゃった時のような気持ち悪さである。(伝わる?) 爪は風呂上がりに切ると、水分でふやけている分切りやすいのでオススメだといつも思っているのだけど、そうそうセオリー通りに行動できる自分ではない。 つま先になんとなく違和感を抱えたまま数日過ごすことはままある。 で、本日の爪切り。 まぁ首尾よく終了。 特にミスもなく、予想外の角度へのひび割れも起こらず、 私は今快適なつま先を感じながらこの日記を書いている。 こまめに切ればいいだけなんだけどね。 足の爪。 伸びちゃうまで伸びてるって気付かないんだよなー かえで

9月27日(2):業病

北條民雄「いのちの初夜」 16歳でハンセン病を患い、療養施設生活ののち23歳で亡くなった作家です。 川端康成に師事。 本のタイトルとなっている作品を含む八編が収録された文庫本で、八編すべてがハンセン病に関わる物語です。 連続して読むには一編のエネルギーが強すぎて、休み休み読んで、残すは最後に収録された作品。 あとがきや解説などは読み終えました。 感想なんてぜんぜん、今すぐ書ける気がしないんだけど 高山文彦氏による解説を読んで、書かずにいられないことがあるので今これを書いてます。 ハンセン病が「業病」とかつて呼ばれていたのはご存知かと思います。 「業」。仏教の言葉だっけ。 前世での行いが現世に影響して、今背負っているもの。 みたいな感じで私は理解しています。 つまりハンセン病は「前世での行い、その報いが現世で病となって今お前は背負っている」と、かつては思われていたということだと思います。 …でさ、 今日ついったーというかXで見たのよね。 漫画のスクショなんだけど。 「アトピーは、前世で人を焼き殺した者が罹る病だ」 ってセリフが出てくる漫画。 宗教に関する漫画のようです。 その宗教ではアトピーはそういう病気だと言われている、というようなシーンかな。 スクショを見ただけだから、詳しくは知らない。 それってつまり、 アトピーは「業病」と思ってるわけだよね。 いやーびっくりしちゃった。 自分の中の「業病」という言葉に対するイメージが、ぎゅるっと変化しました。 ハンセン病が業病と呼ばれていたこと、それはずっと知ってたし、それに対して特に違和感を覚えてなかったんです。 というのは、ハンセン病は業による病だ!と思ってたわけじゃなくて、そういう別名があるんだな〜くらいの認識しか持ってなかった。 でも、自分が長く人生を共に歩んでるアトピーが業病と言われてるんだって知ったとき、なんというか… え?なんで!?と思った。素直に。 あんたら、私も知らない私の前世を見たことがあんの…? 聞いたことも見たこともないのに、そんなふうに人の病の原因を断定するのは、それは一体どこから来たどういった確証をお持ちですのん????? 私が見たスクショのその漫画がどこまで現実に即してるかはわからないけど、もし教え的に事実だとしたら、ぜひ詳しい信徒の方にお話を伺ってみたいと思いました。 ちなみにハンセン病は感染症

9月27日:LOOK. AT. IT.

 OMGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGLOOKATIT!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 押尾コータロー氏のラジオにTommy Emmanuel appears!!!!!!!!!!! これ放送はいつなんだ 番組のTwitter見てもわからなかった…!!!!!!! Tommy Emmanuelは、オーストラリア出身の音楽家です。 私はTommyが大好き大好き大好きで、ライブへも何度も足を運んでいます。。 ミラボラでよく曲をかけるアーティストの一人かもしれません。 この動画の4:26くらい When I go to the higher, when there's no backing, I'm still hear the backing in my head. 高い音程で単音のソロパートを弾いてるとき(ベースやリズムを弾いてないとき)も、頭の中ではバッキングが鳴ってる これはCory Wongがよく言ってる「Inner clock」「Inner tempo」(体の中で感じるリズム)と同じものだと思う。 上の動画ではInner clockを具体的にどうやって向上させるかを話してます。 歌を歌う上でもこのInner clockってめちゃくちゃ大事です。 バンドやオケと共に歌ってるとしても、リズムを音楽に任せるんじゃなくて、自分で捕まえるの。 Tommyの演奏を聞いて、やっぱり改めてこの「捕まえる」ことの重要性を感じました。 いやーーいろいろあふれてきてしまった。 研鑽されたミュージシャンはほんとにすごい!!! かえで

9月3日:キャラアゲ

朝だけ仕事して、あとは寝たり、スマホ見てる日でした。 何もしたくない、空っぽでいたいんだけど、やっぱり暇ではある。 でも何もしたくない。 何もしたくないんだけど、唐揚げが食べたくてね、、、 行きましたよコンビニに。 かろうじて人前に出ても許されそうな格好をして。 いわゆるホットスナックではなく、冷凍のやつをチンしてほくほくで食べたくて、冷凍庫を探していたんだけど、見つからない! なんで!?いつもこの冷凍庫にあったじゃん!! アイスのスペースにも入ってない!!! 唐揚げの神は今日の私のていたらくを許さないというのか…!!!! (God damn状態) と思っていたら見つかりました。 普段は素通りしてるハーゲンダッツの棚にあった。 しかも最後の一袋。 やったぜ。私はまだ見限られてはいないらしい。 すんなわけで食べましたさっき、ビールと一緒に。 チンしきれてなくてちょっと冷たかったけど、別にええやろ! もぐもぐ かえで

8月21日:孤独病

「100分 de 名著」シリーズの「ツァラトゥストラ/ニーチェ」を途中まで読んだ。図書館で。 著者いわく、ニーチェは孤独病だったんじゃね?と。 孤独病、それは 大衆を見下し迎合を避け、ひとり思索に没頭し、そのくせ人好きで、議論や関わりを求めている人 が患っている病。 笑。 それって思春期、厨二病。 私は31くらいから第二次思春期が始まって、今やっと終わりつつあるところです。 たぶん。 かえで

8月17日:正しく悲しむ

悲しみが過ぎると、悲しみと、悲しんでいる自分自身への同情が入り混じってしまう。 悲しみ過ぎてはいけない。 悲しんで、惜しんで、後悔して、悼んで、それと同時に前を向かなくては。 悲しみは人を思う気持ち、 悲しみすぎは自分への同情。 かえで

8月10日

朝9時に家を出なきゃいけないところから逆算して、 6時に目覚ましが鳴って 二度寝からの6時半に起きて シャワーして ストレッチして 化粧して 左右の眉毛の高さが違くてヤベーとなりながら 水筒に水を詰めたり 日焼け止めを塗ったり 8時55分にコップを洗って さあ出るかというところで電話が鳴る 先方の都合が変わったのでリスケになりました笑 爪切ってギター弾こうかなというところです。 朝ごはんもたべよっかな。 かえで

7月24日

作りかけの曲がいっぱいあるんじゃ。 だいぶ溜まっておる。 一緒に曲づくりができるチームをつくりたい。 相棒がほしい。 私の音楽と私に興味持ってくれているひと もしいらっしゃったら連絡ください。 info🌉kaedekobayashi.com (絵文字を@に) SNSで発信するには臆病すぎてここで書いてみる ひとまず、、 楓

7月20日

現在午前9時すぎ。 まだ日記を書けるほど今日を経験していないのですが、禅僧の南直哉さんの記事がめっちゃよかったので紹介したくて。 WEBマガジン「考える人」の連載です。 お坊さん、らしくない。 二十七、「赦す自分」を赦す あのことを赦してしまったら、自分の中で何か大事なものを手放すことになるんじゃないか?と思って、自分を赦せなかったり、他人を赦せなかったりっていうのにすごく心当たりがあります。 でも本当は赦したいの。 しがみついていても仕方ないってわかってる。 大事だと思っているだけ、思い込んでいるだけなのかもしれないってわかってる。 嫌っていたいわけじゃない、責めつづけたいわけじゃない、先に進みたい。 開放されたいのかな。 だから 「赦す自分」を赦す、 っていう構造がものすごくストンと来ました。 自分の中にはたくさんの自分がいるから。 役割を分けてもいいんだ。。と。 南さんのお話に出てくるおじさんくらい、大きな行動をしないと そのタイミングは訪れないのかもしれないですね。 かえで

7月9日

Twitterが終わるだの終わらないだのって話は一旦終わったんですかね? API制限は一時的なものだということだったけど、制限がかからなくなってからもTwitter終了〜Threadsへ移動か〜みたいなツイートをいくつか見ました。状況がよくわからん。(そもそも調べてないんだけど) 私の活動情報をウォッチしてくれてる方にとってどのプラットフォームが便利なのかっていう話で、Twitterに固執しているわけではないので、もし利用に大きな制限ができたとしたら(例えば無課金ユーザーはこないだみたいにAPI制限かかるとか)…そうだなぁ。ホームページはあるからなぁ。Youtubeにも最近全然投稿していないけどコミュニティって場所があるし、インスタを広報用に使ってもいいし、Facebookは引き続き更新するし、Threadsは使わないだろうなぁというのが現在の所感です。 新たに国産SNSが登場したら、それは使うかも。 そういえばちょっと前に noteのアカウント を作ったんです。購入したい記事があったので。 この日記をnoteへ移行することも考えたんですが、そうするとネットワークに所属してしまうんですよね。 この日記はどこからも隔絶された場所にしておきたい。。 いやインターネットである時点でまったく隔絶されてないんだけど。。 どこにも所属しない場所でありたい。 Bloggerはnoteみたいにキュレートされたり、紹介されたりしないじゃん。。 されてないよね? されなくていいんです。 あ、SNSなどからこの日記へリンクを張っていただくことはもちろん大歓迎です。 むしろとっても嬉しいです。 リンクしてもらうような有益なことはまったく書いてないけど笑 ここ数日はよく自炊しています。 やっぱご飯つくるのって楽しいねー。 つくって食べて片付けて、で達成感を得られるのもよい。 今日はシーフードトマトパスタとじゃがバターでした。 かえぴょこ

6月24日

 アゴタ・クリストフ「ふたりの証拠」 この時 読んでた「悪道日記」の続編です。 (悪童日記→ふたりの証拠→第三の嘘、で完結らしい) 215ページあたりから段々と吐きそうになりつつ 239ページまでなんとか読んで、 今日はもうこれ以上読めない。限界。 紹介とか感想とか書評とかではなく、もうただただ辛い、それを吐き出さなければ今つぶれちゃう。 SNSから隔離したこの日記を持っててよかった。 このザワザワとかドヨドヨを抱えたまま寝られない 本を読んで、しかも物語でこんな状態になったことないんだけど。。。 とりま山場は超えたのではないだろうか。たぶん。 240ページからさらにいってしまったらどうしよう 楓

6月20日

私は手紙を書くのがほんとにほんとに好きで、相手は限られてるのに気持ちだけふくらむもんで、レターセット・季節のはがき・一筆箋など、たくさん買ってしまいます。 あの人元気してるかな?とふと思ったときに、LINEではなくポストカードを送りたい。 最近どんなですか、私はこうよ。というのを書きつけて、フラッと手紙を送りたい。 でもね、これってもしかして押し付けじゃない…!?とちょっと不安なところもあって。 フラッと手紙やハガキを送ると、だいたいLINEでお返事をいただくのですよ。 「手紙ありがとう!元気してるよ」と。 でもね、別にLINEで即時に近況を聞きたいわけじゃないの。 あ、手紙くれたのね〜とただ受け取って、あとはほっといてもらっていい。 そしてそのうち、同じように郵送でフラッと返事がもらえたら、最高に嬉しいの。 別になくてもいいの。 本当は手紙を書きたい人がいるんだけど、 「返事しなきゃな…」みたいな負担をかけてしまってたら申し訳ないなぁと、ちょっと二の足踏んでる今日この頃です。 この気持ち、わかってもらえるだろうか。。 今も目の前には、封を開けてないゴッホのレターセット。 文房具を入れている抽斗にも、未開封のレターセットがある。 かえで

6月14日

「君に才能はないと思う」と初めて言われたのは、19か20の頃だったか。 mixiで出会った自称元プロのボイストレーナーに、2回くらい歌を聞いてもらったあと、「ぶっちゃけ私って才能ありますかね…?」と聞いて、返ってきた言葉だった。 それなりにショックで、そう言われた事実は自分の中にずっと残ってた。 残ったままトロントへ行き、バンドやりながら数年を過ごして なんやかんやあって東京へ戻ってきてすぐ、 現地で知り合ったプロミュージシャンの皆さま (つまり、岩瀬さんや目木さんたち) に、おかえり飲み会を開いてもらった。 渋谷駅の近くだったな。 「日本でもっかい音楽やりたい」という話とともに、19・20で才能がないと言われたことがひっかかっていることをこぼした。 ミュージシャンの皆さま、そのとき4人いて4人とも 「才能ないとか言ってるそいつにまず素質がない」 と話してくれた。 才能なんてあるとと思ったもん勝ち。 そもそも才能とか言い始める時点でダウト。 というようなこと。 その時わたし24歳。(かな?) そうなんですかね?とあまりよくわかってなかったけど、今ならわかる。 才能という言葉が指し示すものがなんなのか。 持って生まれたものと、生まれてから伸ばせるもの 生きていくうちに感じて、つかんで、モノにしていくものとは ぜんぜん別ってこととか。 時は流れていま、わたし36歳。 こないだ16年ぶりに言われてしまった。 「お前はメロディーメーカーではない」。 つまり、メロディーを書く才能がない、ということ。 付き合いも長くなり、とても信頼している この人がいなければ今の私はいない!という人に言われた言葉。 今回もやっぱり、胸の中に投げ込まれた石みたいになってる。 音声はループし、感触はカチカチで、 小さくも溶けそうもない礫となっている。 でもあの頃と違うのは、 「そうだとしても、今後にあんまり関係ない」と思えていること。 才能やセンスの正体があの頃よりは見えている今、 そして生きていく原動力のひとつが曲を作ることである今、 才能の有無は、音楽をやめるやめないという選択には、もう干渉できないのだ。 誰かに何か言われたからってどうにかできることでは、もはやないのだ。 なんだったら、自分に才能がないかもしれないことなんて もうすっかり対峙しきって、戦いきって、 ぼろぼろで握手して、まぁこれ

6月6日

ふと思い立って、同人活動時代の知人の名前を検索してみた。 ピクシブもSNSも2020年で更新がピッタリ止まってた。 やめたのかなぁ。生活や何かに変化があったのかな。 お元気だといいな。 ここ1ヶ月くらいだいぶいろいろサボっていました。実は。 仕事も作業も最低限。 サボり期間の大団円には大鬱に見舞われたりもしてしまったんだけど、月曜から復活して、元通りに再開しました。 。。この期間でだいぶ体力が失われたみたい。 いま目がかすんでます。笑 元通りといいつつ、明日から日曜までちょっと遠出してきます。 あ、木曜のラジオは通常通りの放送です。 かえで

5月25日

Amazonの「あとで買う」にいつの間に入れてた「悪童日記」 https://www.amazon.co.jp/%E6%82%AA%E7%AB%A5%E6%97%A5%E8%A8%98-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AFepi%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%82%B4%E3%82%BF-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95/dp/4151200029 (アフィリエイト入れてません) 近所の本屋で見つけて買ってすぐ読み出したけど、半分過ぎた頃から重たくて、読むスピード落ち気味。 一節読んで一息ついて。。みたいな。 一息っていうかため息だな 読むだけならすぐ読めるんだけど。。。 重圧に耐えきれず、ここで中間報告でした。 かえで

5月19日

原点に立ち返り、今日の日記(ていうか記録) ・7時くらいに起きたかったが、ふとんから出たのは13時ごろ ・食事(1回目/カレー) ・コーラス録音 ・17時45分ごろ 家を出る ・文房具屋さんで買い物(ペンの替え芯、ポストカード、レターセット) ・18時20分ごろ 電車のる ・19時〜22時 あるライブのリハーサル ・23時 帰宅 ・洗顔 ・食事(2回目/スーパーのお惣菜、ビール) ・メールチェックなどしてイマココ 手紙書きたい欲が暴走しててレターセット買いがち。 かえで

5月17日

 Jeff Beckが亡くなったっていまだによく理解していない PrinceもMJもよくわかってない どんなに好きでも、知らん人だからな。 でも、本人はいなくなっても、音や熱やメッセージは残るって不思議だ。 今も輝いてる。 音楽は言語なのかしら。 芸術は言語ってことかしら かえで

5月12日

老いなくてはいけないのだ 人は、、、 そうでないと循環しないのだ。 どうせ魂は老いないのだから。 見た目くらい老いたっていいじゃない。 ピチピチは若きに任せて、年月を経た骨身を愛でたい。 …とかいいつつ、フェイスリフトを心がける 毎日のスキンケア&マッサージ。 かえで

5月6日

 安村さんのBriten's Got Talentの動画、めっちゃみてるんですけど 20回くらい見た今、やっと気がついた。 腕毛やすね毛、おそらくVIOも処理してるよね。動きの中で見えちゃうかもしれないから。 でも脇毛だけはそのまま生えています。 これはとっても興味深い。 試しに想像してみてください。 ・脇毛に加え、腕毛、すね毛もしっかり生えている状態でのこのネタ ・脇毛もしっかり処理され、全身ツルツルな状態でのこのネタ …どっちも「違う」と思いませんか? 前者はネタよりも毛に目がいってしまいそう。 後者は前者より気にならないかもしれないけど、「安村、脇処理してんだ」と思う人が複数いそう。なんか冷静になるというか。 ムダ毛は脇のみ。 これこそが唯一の正解としか思えないのです。 そしてそれはなぜなのか? 今読んでる本「人間はなぜ歌うのか?」 これに、人類が樹上の猿だったころから、地上に降りて原人へと進化するという話について書いてあって、まさに最近読んでいるところなんですが。 著者は、ムダ毛(脇毛や陰毛)は、汗を含んで異臭を発することによって、外敵を寄せ付けなくするためのものではなかったかと書いてるんですよ。 これを読んで、私は腑に落ちた。 少なくとも近代・現代では、異臭を発して遠ざけなくてはいけない外敵はもはやいなくなったから、これらの毛はないほうがより魅力的ですよということで、みんなムダ毛を処理したがるんだと。 なお猿の頃の毛皮がなくなったのは、樹から地上に降りたこと、外敵との戦い方が変化したことを理由として書かれています。 柔らかな肌が露出され、毛がより少ない方が性的に魅力的であると見做されてきた。 何が言いたいかってつまり、安村さんの芸とルックスは、ものすごいバランス感覚で成り立っているのでは…!?ということ。 だって、腕・すね・VIOを処理するのに、脇だけ残してくださいなんてそうそう言えないよ!全部やっちまってくださいって言うでしょ!? そういう絶妙なセンスってどうやって培われるんでしょう。。 もちろん、脇以外はもともとツルツルという可能性もあるのだけどさ。 かえで

4月26日

正義の話 「正義の対義語は別の正義」ということを意識するようになってから、私は私の正義を語ることに消極的だったように思う。 実態も真実もなく、時代と主観が反映されたものだから。 必ず移ろい、普遍でないから。 でも、ラジオで神宮の森伐採の話をしたとき(明日放送のミラーボールラウンジ)、我ながら情けない話になってしまったと思ったんだよ。 聞いていただければわかるんだけど。 絶対的な答えが存在しないからこそ、自分の答えを持たなきゃいけないんだ。 Princeの「Baltimore」 白人警察官が黒人を殺す事件についてを歌った歌で、プロテストで使われるコールが歌詞に入っている。 If there ain't no justice, then there ain't no peace. 正義がなければ平和もない。 この言葉の意味をずっとずっと考えてました。 それぞれが正義を持つことが争いの種になるのなら、正義なんて持たないほうがいいんじゃないかと思ってたけど。。 それって放棄だし放任なんだきっと。 自分の正義を持って、同時にそれを問い続けること 変わることを恐れないこと 変えられないものがあることを自覚すること 心に打たれた楔はなんなのかを言葉にすること 何を失っても、何を傷つけても、自分で自分を正しいと思えるものが正義でしょうか。 それって相当な覚悟がいるよね。 自分の正義のために他人の正義を殺すこと、が起きるのは当然だな、、 かえで

4月2日

Youtubeに、歳時記は散りゆくのショート動画を上げました。 たったこれだけに丸1日かかりました。笑 紙に描いてスキャンして線画にして整えて…っていう作業工程なんですが、最初から全部画面上でやれればもっと時間短縮できるんだろうな。 iPad欲しいー。 14時からは巨人中日戦があったのでTVを見ながら。 WBC以来、すっかり野球に興味が湧いてしまいました。 見るのも楽しいけど、やりたい。 オンラインショップでグラブを見ながら、ボールを投げるフォーム、バッティングフォームの練習をしています。 指導者がいないから、練習って言っていいのかわかんないけど笑 侍ジャパンから入った私は、NPBに応援しているチームがまだありません。 そうするとやっぱり試合の見方がボンヤリしちゃう。 自分の中に要のチームがあると観戦の土台になるんだろうとは思うけど、今のところまだわかんないや。 TVじゃなくて球場へ行くとまた何かが芽生えるんだろうな。 一日中画面を凝視してたのでだいぶ目がお疲れポンチですが、これから映画みようかなーなんて思いながら、ビールをあけたところです。 かえで 最後に、 坂本教授。お疲れさまでした。 ゆっくり休んでください。

3月30日

バラバラにそれぞれ動いたり、止まったりしていた歯車が噛み合ったかんじ。 尻を叩いてくれる人も、手を引いてくれる人もいないので 自分で立って、自分で歩いて、いろんな人に声をかけていこう。 やっとこのモードになれて嬉しい。 今日はある大ショックな事件があって、ドルンドルン言ってたエンジンにジュッと水をかけられたみたいになった。 情けなさと怒りのテンペスト。 このままでは今日が反故になりそうだったので、席を立ってお味噌汁を作って、魚を焼いた。 袋小路においては引き返したり、横道にそれたりすることも必要だな。 まだシュンとはしてるけど、立ち直れました。 抽象的な話ばかりですんません。 最近魚がうめーよ。食卓への登場率が爆上がってます。 大人の階段のぼってるな。 かえで

3月19日

ヘッドホンが逝去してしもうたー。 作業中突然左しか聞こえなくなり、うそやん!?接触じゃろ!?と思ってプラグをぐりぐりしてもノイズも鳴らず。 録音ブースで使ってる同じ型のヘッドホンに差し替えたら、左右ちゃんと聞こえる。 逝去確定でした。合掌。。 そんなに長く使ってないはずだよ…!とサウンドハウスで注文履歴を見たら、購入日は2020年6月でした。 3年弱かーー。んーーーーー。 でも初代のやつはもっと長く使ってたけどなぁ。。 (今回お亡くなりになったのは、たぶん3代目) 腑に落ちない、がしかし無くては何もできないので、ふつうに発注済みです。 かえで ていうか、2020年が3年前て。

3月14日

ほんと言葉きらいだわ。 軽率な言葉。 何かを隠してごまかそうとする言葉。 上背を稼ごうとする言葉。 同情を呼ぼうとする言葉。 許されようとする言葉。 敏感になりすぎてるのかもしれない。 本意ではないものを本意として妄想してしまっているのかもしれない。 だとしても今は言葉が嫌い。 もう歌だけでいいよ。 音だけでいい。 絵だけでいい、写真だけで、映像だけで、色や線や、布や紙や手触りだけでいい。 嫌いな言葉を発している自分が一番嫌だ。 だから何も言わない。 私はもう歌だけでいい。 と、思ってしまう夜もあるよー。 かえで

3月11日

失いたくない、と 失ってしまいたい、が同居するとき 私はどうしたらいいのか。 ちょっと前に、お酒飲んでるときにバーーッと書いて 公開できなかった日記 の中のことば 善より悪より正義より、矛盾や欺きが真実であるように思える。 天才か? まじこれほんとそう思う these days. かえで

3月8日

昨日、今週のラジオの収録をしたんですが WBCについて嘘ばっかり言ってしまったことに気づいてはずかちい。 日時が決まっているものについて話すときはちゃんと調べなさい。 すみません。 放送は9日木曜、20時からです。 4日にあった「徹が通る」に合わせて、「にいがた地酒カップ30本セット」を母が送ってくれました。 こちら 。 祝!新潟酒の陣2023開催、ということであつらえられたものみたいです。 さまざまなる新潟の地酒が、ワンカップで30本。 徹さんはもちろん、ミュージシャンやTerraスタッフさんみんなで好きなものを持ち帰ってもらったのですが、 1本だけ「これはっ、、」と思って私のものにしたのが 近藤酒造「酔星」でした。 これ、小さい頃コップとしてふつーーに使っていたのです。 段ボールから取り出した瞬間、記憶がぶわわっと蘇って。 使ってたよね?と母に写真を送ると、 「じいちゃんが好きで飲んでたからね」との返事。 そっか、じいちゃんこれ飲んでたんだぁ。 だからカップがいっぱいあったのか。 黄色いチューリップのやつもあったと思う。今はないのかな。 今私が向かっているパソコン、 の上に飾ってある若かりし祖父の写真(イケメン)に乾杯して いただいております。ライナウ。 かえで

2月7日

原点に立ち返り、きょうの日記 ・6時に起きたかったが、結局8時半くらいに起きる ・ラジオの収録 ・プチトマトとアスパラをホイル焼きしたおいしい朝食をとる ・仕事 ・天ぷらうどんで昼食をとる ・仕事 ・夕食はコンビニで買う ・シャワー ・仕事 ・26時終業 いまここ コーヒー 3杯 ローズヒップティー 1杯 水 いっぱい ビール 今1缶め(あと1缶ある) チョコ ひとつ(直径2cmくらいのやつ) かえで これ、日記っていうか記録。

2月5日

愛情の在処について 料理はこまかく手作りでなければ愛情が足りない、というような意見ってよく見るんだけど、その「手作り」とは、どこからどこまでを”最終的に提供する人”が担えばそこに”愛情”が生まれるのか。 「 うちのちいさな女中さん 」という漫画がある。 昭和初期、”文化住宅”と当時呼ばれていた西洋風の家に住む女性作家と、その家に女中としてやってきた少女の物語。 少女はこの家に来る前、東北(だったかな、違うかも)のお屋敷で働いていた。 そのお屋敷では調理に七輪を使っていた。 女性作家は東京(だと思う。横浜かも?とにかく都)に住んでいる。 おうちは文化住宅。台所には瓦斯が引いてある。 七輪で、炭から火を起こす必要はないのである。 初めて瓦斯を使った女中が、「こんなに楽をしていいのか…!?」と戸惑うシーンがある。 かつては炭から火を起こし七輪で焼いていた魚を、瓦斯でちちんぷいと焼いたら、調理者・提供者から被提供者への愛情は目減りするのだろうか? 私がうんと幼い頃は、お米を炊くのにガス釜を使っていた。 オレンジ色のホース、9時と12時にひねる栓、白くてスンとシンプルな本体。今でも忘れない。 それが電気炊飯器へと交代したのはいつだったろう? 「オカーサンはガス釜をやめた!わたしのことを愛してはいないんだ!」 なんて、あの頃のわたしは思っただろうか? ガスコンロと電子レンジを併用したら、愛は目減りするだろうか? IHコンロで加熱したら、愛は目減りするだろうか? 調理済みであたためれば食べられる鯖の味噌煮を食卓に置いたら、愛は目減りするだろうか? 今まないたで刻んでいる大根は知らない人が作ったものだけど、そこに愛はないだろうか? 風呂上がりに着せているパジャマはユニクロで買ったものだけど、そこに愛はないだろうか? 知らん工場で組み立てられた車で送り迎えしてるけど、そこに愛はないだろうか? わたしは、他人が考案して他人が設計して他人が組み立てて他人が配送してくれたパソコンとキーボードを使って、どこからか伝わってきて生まれる遥か前に確立しながら他人の人生によって進化を重ねてきた日本語という言語、その言葉と文法を使い、他人が考案して他人が設計して他人が組み立てたインターネットに乗っかって、この日記をあなたに届けている。 そこに愛はないだろうか?

2月3日

私の欲望って なんだろなぁ k

1月30日

この日記もSNSも、Youtubeなんて特に疎かになっています。 ちょっとやることが多くて、自分の制作はちまちまスピードになってしまってます。 日曜にあるライブで歌ってきました。 メインで歌う曲が2曲、あとはコーラスで参加という形だったんですが、私コーラスやるのとっても好きになったなー。と思います。 前は、ライブで歌うなら絶対メインがいい!と思っていたけれど。 人の声と自分の声を合わせることは楽しいし、メインボーカルに合わせていくのは面白い。 もっとコーラスやりたいです。 誰か呼んでー! かえで

1月14日

最近、ちょっとやばくね?ってくらいのうみその働きが危うい。 何かをしようと思って場所移動して、 その場所に着いたら「あれ?何しに来たんだっけ」。 これはよくあるし、原因はわかる。 思い立ってすぐ移動を始める →移動中、別のことを考える →考えることによって、移動を始めた理由がかき消される。 つまり集中力が落ちてるのかな。 他に多いのは「今日の日付を勘違い」。 今日は●日だと思ってたけど、実際は▲日でしたってやつ。 前からちょいちょいあったけど、この1ヶ月くらい特に顕著。 今日も、13日だと思ってたら14日だった。 次、「距離感が掴めない」。 何かをどこかにすぐぶつける。 これも、言ってしまえば子供の頃からそう。遊園地でゴーカートに乗るたび、私は運転免許を取っちゃいけねえタイプだなと思っていた。(だから持ってない) 今は、何かを場所Aから場所Bへ移動させたくて、ちょっと持ち上げたり動かしたりするだけなのに、必ずと言っていいほどどこかにその何かをぶつける。 「持ったものをすぐ落とす」。 力が抜けて、、とかじゃなくて、なんでかわからんけどすぐ落とす。 心配になってくるでしょ。 でも伸びてる部分もあるんです。 「人の名前や漢字を覚えられるようになった」。 これはね、「なぜ覚えられないのか?」を探ったら解決策が見えてきたのですよ! 例えば、名前を「名前」だと思うと全然覚えられない。 漢字を「漢字」だと思うと、ぜんっっぜん一生覚えられない。 ※漢字じゃないけど、部屋番号の話 集合住宅に住む友人を尋ねたとき、建物についてから部屋にたどりつくまで「部屋番号なんだっけ」と5回くらい電話して、本気で心配されたことがありました。 でも、その「名前」や「漢字」「部屋番号」をいったん頭の中で文字にして、それを絵と捉えて頭の中に描くと、、、覚えられるようになったんだこれが。 つまり絵・画は覚えられるんだね。 それにやっと気づきました。 ここ1・2年くらい特に、自分の変化を感じます。 考えてることは昔から大して変わってないんだけど、思考から表現(主に発話)に至るまでのプロセスが変わってる。 全然思考してないのに発話しちゃうことが増えた。 これは年齢を重ねることによる変化であるとは思うんだけど、これまでの生き方が反映されているのか、それとももともとの性質がより強く出るようになってきているのか、果た

1月11日

わたしほんとに音楽が好き。 楽器の音が好き、人の声が好き、その人しか奏でられないものが好き、それらが合わさったものが好き。 音楽は娯楽だという考え方があって、私もそうだと思ってたことがある。 でも今はそうじゃないと思ってる。 もっと根源に音楽はある。人間の、を超えて、生命の。 きゅうりだって超音波を発しているらしいじゃない。 歌詞を書きはじめるとき、いつもどうしていいかわからなくて、言葉を書いては消して書いては消してほんとに嫌になる。 言葉ってなに?歌詞とは?の答えが欲しくて、歌の起源に関する本を読むようになった。 誰が書いた本をどんなに読んでも、答えを導き出すのは自分自身で、移り変わりつづける自分の中の事実を観察しながら自分だけの真実を模索していくしかないんだけど、 たった今わたしは Vulfpeck の新しいアルバムを聴いてて、むっちゃたのしい気分で、やっぱ音楽って最高なんですわと思っているところです。 k

1月9日

たったさっき今週のラジオの収録をしたんだけど、オタクの早口でしゃべってしまってちょっと恥ずかしく思う今現在。 でも流すんだけど。 新潟コミックマーケット、「 ガタケット 」が先日の開催で40周年だったそうなのです。 ガタケは私という人間の始まり。 二次創作ではあるけど、絵を、漫画を描いて本にして販売した初めての経験。 11〜13歳の頃のことですが、よく考えると今もやってること変わってねえな。 自分でつくったものを形にして売ること。 他人に見て、読んで、聞いてもらうこと。 ラジオではぜんぜん話しきれなかったこと、ここでウワーーって書きたいけど、放送が終わってからにしよう。 今週木曜12日、夜8時からです。 かえで

1月6日

楽曲、漫画、映画、舞台、絵画、すべて創作は、ファンタジーとリアルが入り混じってる。 J Hudのこれを聴くたび涙が滲んでしまう。 つくりだされた物語の中の、つくりだされたキャラクターの歌なんだけど。 創作って不思議です。 かえで

1月4日

2023年です。ばさばさばさー(鳥が飛んでいく音) 昔大好きだったゲームのサントラCDがありまして 当時兄が持っていたのを繰り返し繰り返し聞いていたんだけど、そういえばまた聞きたいなと思って連絡したら、どこにあるかもうわからんという返答で。 でAmazon見たら、あったのですよ。 中古CD。 わ〜あるやんか〜どうしようかなと思ってとりあえず「あとで買う」に入れたまま長らく放置してたんですけど、今日Youtubeに全曲上がってるのを見つけてしまってさ。 チャンネルは作曲家の方の公式でもなく、ゲームメーカー関連でもなさそう。 つまり違法アップロード…たぶん。 中古CD買って聴くのと、Youtubeの違法アップロードを聴くのと、どう違うんだろ。。だってどっちにしろ制作サイドにはお金が入らないわけじゃないですか。 でもそうか、中古CDの販売・購入は「違法」ではないのか。。 ってことはCD買って聞いた方がまだマシってことですよね。 ちなみにセガサターンのGRANDIA(グランディア)というゲームです。 ゲームもやりたいんだよなぁ。。 (プレイ動画もYoutubeに上がってた) ゲームもやりたいと言えば、サクラ大戦シリーズもやりたいの。 でもPC版ってリリースされてないのね…。 ないよね? かえで