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11月8日:指先の先

Youtubeへ上げている動画へ低評価がついたり、ポジティブではないコメントをもらいはじめました。 小林楓を知らない、私という人格を認識していない人にもやっと見てもらえるようになってきたぞ…と震えています。 2007年、トロントへ渡ったくらいのときに、NHKのある番組に出演したものが放送されました。 Dufferin streetに借りていたシェアハウスの一室でその番組の2chスレを見ながら、私は盛大にヘコみました。批判ばかりが書き込まれていたから。今でも覚えているのは「ブサイク」と「おばさんみたいな尻」笑。おばさんておまえ!こちとら二十歳だっつーの(当時)。落ち込みに落ち込んで、人前に出るのが怖くなって、数日間部屋へ引きこもってしまったことを覚えています。 低評価なコメントをもらうのが今より一年前だったら、やっぱり盛大にへこんでいただろうな。 今の私は少し違ってて、人前に出るということは様々な意見が飛んでくるということを理解しています。実生活で関わりがないから、人格を持った人間だと認識されていない。だからいろいろな意見感想が投げかけられる。 褒め言葉や激励だけをもらえる場所から、やっと足を踏み出せた。 一層がんばっていかなければ! かえで

10月29日:天秤

新しいものを得ることと旧いものを失うことは等価交換である。 我々には2本の腕しかなく、その腕に抱えられる物事の数は限られている。 何らかの理由で3本以上もしくは1本以下の腕がある人も結局は同じことだ。 何かを抱える腕がある限り、抱えられる何かの数は限られている。 旧いもの、 以前から抱え続けてきたものを心から大切にしていた場合 それをずっとずっと長い時間抱えているとして、そこに澱みは生まれないのだろうか。 新しいもの、 抱えているものをいつも循環させたい場合 旧いものを捨て続け、新しいものを得続けることで歪みは生まれないのだろうか。 今抱えているものがとてもとても大切でずっと抱えていたいと願っていたとしても、それがずっと腕の中にとどまり続けてくれるとも限らない。 「それ」の思いは「それ持ち」知らずであるから。 本日の所感です。 失うことは悲しいけど、それを恐れすぎずにいたい。 かえで

10月28日:ねむみのカタマリ

なんだこの眠さは? ほんとうは朝7時に起きたかったんだけど、おふとんから全然出られず結局8時半まで粘ってしまった。最初からHPゲージが点滅した状態で仕事を始めたが16時に限界を迎え、いったん昼寝。2時間半のマジ寝。さあスッキリしたかしらと思いきや、脳みその芯が熱い。頭の中心でねむみのカタマリが熱を放っている。アツアツの鉄球に冷たい水をジュッとかけたいところですがそんなことはできませんので、今日はもう寝ます。 明日こそ7時、いや6時には。高望みか。7時には起きたいです。 かえで