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序述

思い起こせば小学5年か6年の頃、自分という存在に気付いた頃から、私はポップではなかった。

自分の心の暗いほう、暗いほうへと視線を、意識を向けてつづけていた。
ポエムは劣等感と別離とセックスと経血まみれだった。

死ぬことをよく考えた。
死にたいとよく思っていた。
自分の体も、心も嫌だったから、それに耐えられなかった。

そんな私は24歳頃、ポップを自称しはじめた。
ポップな曲をつくり、ポップな歌詞を書いた。
ポップな人間を装い、ステージに立った。

私は自分の陰鬱な部分が実は好きだ。
陰鬱さこそが自分だと、今は思っている。

その陰鬱さに蓋をして、あの時私はポップを自称した。
それはあきらかな詐称だった。

ポップと詐称し、陰鬱さに蓋をすることによって
私は私の多くを殺してきた。

今、私はこう思っている。こう感じている。
でもそれはポップではない。
ポップでないなら、願う私になれない。
では、この思いは無かったことにしよう。

これを、何度も何度も、
何年も何年も繰り返した。

そして私はバカになった。

考えることをやめたし、知ることをやめた。

そして時間が経った。

***

死を選ぶ勇気もなく、年齢だけが立派になった最近、
私は私の陰鬱さと向き合っている。
陰鬱なものをつくりたいという欲求と、
改めて向き合っている。

そのほかにも、
私のいいなと思うところや、
私の受け入れがたいと思うところにも
積極的に立ち止まるようにしている。

***

5月26日、ミネアポリスで起きたジョージ・フロイド氏の事件以降
アメリカでの黒人差別の歴史について本を読んでいるんだけど、
読み進めるにつれ、自分がこれを知ってどう思うかっていうのを
ちゃんと書いて、形にしなければと思うようになりました。

幸い(?)このブログは開店休業状態で、
誰が見てるかもわからない場所なので(笑)
そういう場にさせていただこうと思います。

序述のとおり、ポップな場にはなっていかないような気がします。
何卒ご勘弁ください。


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