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10月16日:この日記

ちょっとまえにFacebookへ短い文章を投稿した。その時の私は少々くたびれていた。一週間前に3日間だけ帰っていた地元での時間が楽しすぎて、毎日毎日思い出していた東京での生活だった。くたびれていて、思いを馳せていて、そういうのをぱぱぱーと書いたポスト。それを書いたとき、なんとなく心が少し晴れた。あ、スーー。みたいな。そして気付いた。私は私のために文章を書いていいんだと。

私は、自分が何かをしゃべるときは聞いている人に笑ってほしいと思っている。ラジオ、配信、ライブのMCやちょっとしたスピーチ、人前でしゃべる機会は少なくない方だけど、話題や言葉のチョイス、話す順番、緩急やらハズしやら、実はいろいろ考えてしゃべっていたりする。実際に面白いことが言えているか、笑ってもらえているかは別として。

でもこの日記はほとんどひとりごとである。
読んでもらうことが前提の、「聞こえよがしのひとりごと」。
それでもやっぱり、読んでくれているあなたにちょっとでも笑ってもらえたり、読んでよかったと思ってもらいたいという下心は拭えずにいたんだけど。

前述のFacebookのポストを書いたときに、文章に関してはそんな風に思わなくてもいいのかも、となんとなく思った。
自分のために書いてもいいのかもと。

どこまでが自分のためでどこからが他人のためかなんて正直わからんことではある。音楽を作ることにしたって、私はこれを言い切るけど、すべてのソングライターが最初から他人のために曲を書いていたわけがない。誰かへの想い、もどかしい想い、自分をわかってほしい、認めてほしい、有名になりたい、お金がほしい、それらは全部自分のため。他人のためになりたいなんてのは後付けで、どこまでも自分のために書いたものがどこかで共感を呼び、誰かの心に触れたり評価されたりっていう社会的な動きにつながっていくだけなんじゃないかなと思う。

小学校高学年か中学生のときに初めて自分のホームページをつくった。父が買ってくれたホームページビルダーで、もうとにかくのめり込んで作っていた。
イラストが主なコンテンツで、日記も書いていた。今とやってることが全然変わっていない。とにかく暗くて自分が嫌いだった私は、自己批判ばかり書いていたような気がする。具体的な内容は覚えていない。でも覚えている、私の中で大事な記憶がある。その暗くて自己批判ばかりのウンコ日記にコメントをもらったのだ。「容赦ないまでの自己批判がとても良い」というような。

その人が私のリアルの知り合いだったのか、たまたま通りすがっただけだったのかは覚えていない。とにかくそのコメントに救われた。あ、私、これでいいんだ。これでいいって言ってくれる人、いるんだ…。

2014年に「バースデイ」の1stアルバムを作ってから、私は何者かであろうと必死だった。何者かであると演出することに必死だった。
でも今日、いや前々からじわじわきていたアイディアなんだけど今日結実したものがあって。もう、何者かであろうとするのも、それを演出するのもやめます。くだらねえ。小林楓はいわゆるセルフプロデュースで、方向性や旗の振り方を指南してくれる人は最初からいない。だから何か、自分を何者かであるように見せたり、大きく見せたりしなくてはならないと思っていたのよ。でももうそれやめます。私がひとりでやっている間は、私は私でしかないし、できることしかできないし、やりたいことしかやれない。商業ラインに乗ってないからね。それでいいじゃん。どうして今までそう思えなかったんだろう?誰かもわからない他人の顔色を伺っていたよ。意味わかんね。

10年やってきてたどりついた場所で、今ものごとや、自分自身を見つめてます。

話がだいぶ飛躍してるし言葉づかいもお上品じゃないのですが、こういうことこそ自分に今必要なことだと思うのです。
38歳でやることじゃないかもしれないけど、でもここにたどりつけて良かった。やっと地面に足がついている心地です。

こんな私をプロデュースしてくれたり、一緒に音楽つくろーぜと思ってくださる方はいつも探しています。心から。


かえで



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