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4月26日

正義の話

「正義の対義語は別の正義」ということを意識するようになってから、私は私の正義を語ることに消極的だったように思う。

実態も真実もなく、時代と主観が反映されたものだから。
必ず移ろい、普遍でないから。

でも、ラジオで神宮の森伐採の話をしたとき(明日放送のミラーボールラウンジ)、我ながら情けない話になってしまったと思ったんだよ。
聞いていただければわかるんだけど。
絶対的な答えが存在しないからこそ、自分の答えを持たなきゃいけないんだ。

Princeの「Baltimore」

白人警察官が黒人を殺す事件についてを歌った歌で、プロテストで使われるコールが歌詞に入っている。

If there ain't no justice, then there ain't no peace.

正義がなければ平和もない。
この言葉の意味をずっとずっと考えてました。

それぞれが正義を持つことが争いの種になるのなら、正義なんて持たないほうがいいんじゃないかと思ってたけど。。

それって放棄だし放任なんだきっと。

自分の正義を持って、同時にそれを問い続けること
変わることを恐れないこと
変えられないものがあることを自覚すること
心に打たれた楔はなんなのかを言葉にすること

何を失っても、何を傷つけても、自分で自分を正しいと思えるものが正義でしょうか。

それって相当な覚悟がいるよね。
自分の正義のために他人の正義を殺すこと、が起きるのは当然だな、、


かえで

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