7月28日から始まった、テレビ朝日 ミュージックステーション ウルトラオーディション「Mステへの階段」、WEB投票期間が8月18日で終了しました。 投票、応援・激励のメッセージ、SNSでのシェア・リツイートなど、本当に本当に、ありがとうございました。こんなにも多くの方に気に留めていただいているんだなぁと、感謝の気持ちでいっぱいの3週間でした。 結果発表は25日金曜日。あとは神のみぞ…というか、Mステ制作陣の方々のみぞ知る! もちろん通過していてほしいです。そしてそのヌラヌラ感とは別に、「君という名の宇宙」をこの3週間でたくさんの方に聴いてもらえたこと、とても嬉しく思っています。 重ね重ねとなりますが、たくさんの応援、本当にありがとうございました! ----- この3週間、例によっていろいろ思慮を巡らせました。 歌を聴いてほしい、つくった音楽を聴いてほしいという感情の正体は一体なんなのでしょう?歌が好き。楽器が好き。音楽が好き。いいなぁ、かっこいいなぁと思える曲をつくる。自分の心を預ける、表現するような曲をつくる。そこまでは理解できる感情で行為だけど、その歌や音楽を誰か自分以外の人に聴いてほしいとか、好きになってほしいっていう欲が、どうして「私と音楽との関係」に絡んできてしまうんだろう。 WEB投票に参加しているよ、こういう曲をつくって歌っているよ、つくっているのは小林楓という人間だよ、投票してね…と、もっと広くに、もっといろいろな方法で呼びかけることはできたと思います。有名曲をカバーした動画をネットにアップするとか。路上ライブをしてみるとか。でもやりませんでした。曲を聴いてほしいのか、自分を知ってほしいのか、有名になりたいのか、確かにもっと広く多くの人に知ってほしいよ。私がつくる曲、私がうたう歌、声を聴きたいと思ってほしいし、好きだと思ってほしい。でも、その承認欲求みたいなもののために音楽を利用するっていうのは違うんじゃないか?音楽やライブは純粋に音楽やライブで評価されるべきであって、認知されるために音楽を利用する行為は、音楽への愛とは程遠い、音楽を冒涜するような行為なんじゃないか? 「曲をつくる」という言葉を使うけれど、そもそも音楽とは”そこに在る”ものなんじゃないだろうか。オーケストラのコンサートを見るときや、先日角松敏生...