スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

8月, 2017の投稿を表示しています

Mステオーディション結果報告

WEB投票ありがとうございましたのあれこれ

7月28日から始まった、テレビ朝日 ミュージックステーション ウルトラオーディション「Mステへの階段」、WEB投票期間が8月18日で終了しました。 投票、応援・激励のメッセージ、SNSでのシェア・リツイートなど、本当に本当に、ありがとうございました。こんなにも多くの方に気に留めていただいているんだなぁと、感謝の気持ちでいっぱいの3週間でした。 結果発表は25日金曜日。あとは神のみぞ…というか、Mステ制作陣の方々のみぞ知る! もちろん通過していてほしいです。そしてそのヌラヌラ感とは別に、「君という名の宇宙」をこの3週間でたくさんの方に聴いてもらえたこと、とても嬉しく思っています。 重ね重ねとなりますが、たくさんの応援、本当にありがとうございました! ----- この3週間、例によっていろいろ思慮を巡らせました。 歌を聴いてほしい、つくった音楽を聴いてほしいという感情の正体は一体なんなのでしょう?歌が好き。楽器が好き。音楽が好き。いいなぁ、かっこいいなぁと思える曲をつくる。自分の心を預ける、表現するような曲をつくる。そこまでは理解できる感情で行為だけど、その歌や音楽を誰か自分以外の人に聴いてほしいとか、好きになってほしいっていう欲が、どうして「私と音楽との関係」に絡んできてしまうんだろう。 WEB投票に参加しているよ、こういう曲をつくって歌っているよ、つくっているのは小林楓という人間だよ、投票してね…と、もっと広くに、もっといろいろな方法で呼びかけることはできたと思います。有名曲をカバーした動画をネットにアップするとか。路上ライブをしてみるとか。でもやりませんでした。曲を聴いてほしいのか、自分を知ってほしいのか、有名になりたいのか、確かにもっと広く多くの人に知ってほしいよ。私がつくる曲、私がうたう歌、声を聴きたいと思ってほしいし、好きだと思ってほしい。でも、その承認欲求みたいなもののために音楽を利用するっていうのは違うんじゃないか?音楽やライブは純粋に音楽やライブで評価されるべきであって、認知されるために音楽を利用する行為は、音楽への愛とは程遠い、音楽を冒涜するような行為なんじゃないか? 「曲をつくる」という言葉を使うけれど、そもそも音楽とは”そこに在る”ものなんじゃないだろうか。オーケストラのコンサートを見るときや、先日角松敏生...

「Mステへの階段」応援してくださっているあなたへ。

走るときに私が思っていること

心身の鍛錬ため、 ジョギング→なわとび→筋トレ のルーティンを行っている。 30分超のジョギングのあと20分ほど縄を跳び、自室に戻って水分補給、最後に「バーン・マシン」1.8kgと共に約5分間の筋トレ…という流れは、体を動かす日の常になりつつある。 ジョギング中は、スマホから伸びたイヤホンを両耳に突っ込み、音楽、ラジオ、落語、だいたい何かしらを聴いている。 体が跳ねて前進していく感覚、心拍数の上昇、荒くなる呼吸、しっとりと濡れていく衣服を感じながら、鼓膜を震わせ内耳に伝わり、頭蓋骨から脳に直接流れ込む音を切れ切れに愉しむ。積極的にマゾヒスティックな行為だなぁ、と思う。 上気する体と脳に流れる音声を同時均一に堪能する時間は、しかし長くない。体の疲労が重なるにつれ、音声が疎ましくなっていく。「音声を処理するために割くエネルギーはもう無ぇよ」と、体が私に伝えてくれているような感じだ。 私はイヤホンを耳の穴に残したまま、音を聴くのをやめる。すると、「もうやめよう」「止まろう」「歩こうぜ」と、心が私に伝えはじめる。そうだなぁ、疲れたしなぁ、と、私は思う。と同時に、体が言う。<まだ行けるんじゃね?> <言うほどこっちは疲れてない> 。心2が言う。[心が言うことをとりあえず吹き飛ばせ]。私は『すわー』と叫ぶ(ほんとに叫ぶ)。すると、心が一瞬どこかへ引っ込む。<よし、まだ行けるな>、と言う体。心2は沈黙する。 これを何度か繰り返したのち、心、体、心2、この3人の意向が『今日は終わりっす』に辿り着き、その時私は走るのをやめる。 不思議である。 私は私だけでできている訳ではないらしい。 こういった体験は、よくよく思い出し考えれば、走るときだけに起こるものではない。 心の疲労、体の疲労、私の疲労。 体が動いても、心が疲れている時。心が健康でも、体が言うことを聞かない時。心と体は元気な気がするのに私はやる気が起きず、ボケーとスマホとにらめっこしている時。 3つは太いパイプで結ばれているが、イコールではないようだ。 私という人間の司令塔が、一体どこにあって、何者で、本当は何をして欲しいのか、歳を重ねるほどにわからなくなっていく。 ほんの最近まで 「私」はひとつの人間だった。 しかし今は、いろいろな意志を...

ついたちの朝のあれこれ

1. 今日から8月です。 7月は天国と地獄とコンクリートと布団の間を行ったり来たりで、感覚としては1年に匹敵するくらいの長さでした。あ〜やっと7月終わった… と、ぐったりしたようなすっきりしたような昨日を過ごして、8月1日朝7時半の今、なんだか爽やかな心地です。暑いけど。早朝から蝉は元気に鳴いてます。 2. 9日と15日に東京で、26日に京都でライブをやります。 前回のライブから半月以上も空いていて、なんだか変な感じ。もっともっと歌いたいし、欲を言えばそこに誰かがいてほしい。 3. 「風の谷のナウシカ」は映画もいいけど漫画もいいのです。 漫画の終盤も終盤で、トルメキアの王様がナウシカを「破壊と慈悲の混沌」と呼ぶシーンがあります。破壊と慈悲の混沌。これはナウシカを表現する言葉で、自分には全然関係ないと思っていたけど、もしかしたら人間全体に言えることなんじゃないかなと、近頃感じています。何かをめちゃくちゃにしたい気持ちと、大事に大事にしたい気持ちは、きっかけの大小に関わらず、よく自分の中で入れ替わります。暴力について考えていることが最近多いです。あ、でも破壊と暴力って別物か。破壊はただの行為を示すことば。暴力には何かしら感情がある。かな?ナウシカ読みたくなってきたぞ。 5. 大人になること、年をとること、老いること、変化すること 全部違う意味なんだなぁ。かえを 4. ライブでは、今まで自分が歌うと思ってなかった曲を歌うつもりで準備しています。 毎日いろんな発見があって、それについて何かを考えたり、考えなかったり、考える前に感じたり、感じたことを深く探ったり、探らなかったりします。世界の流れもあるのか、今まで生きてきた時間の中で一番、8月を意識してる。 5. 新しい曲もお披露目します。 6. なわとび結構跳べるようになってきた。 7. 「君という名の宇宙」をYoutubeで全編公開しました。 ミュージックステーションのオーディションに応募している曲で、8月18日まではWEB投票を募る期間だというので、せっかくの機会、今までパスの通っていなかった誰かにも届くかな?という期待もあり、シコシコとアニメーション作ってあてがいました。アニメーションを作るとは、映像を作るとはどういうことか!と、宮崎さんの作業風景やインタビュ...