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6月14日

「君に才能はないと思う」と初めて言われたのは、19か20の頃だったか。

mixiで出会った自称元プロのボイストレーナーに、2回くらい歌を聞いてもらったあと、「ぶっちゃけ私って才能ありますかね…?」と聞いて、返ってきた言葉だった。
それなりにショックで、そう言われた事実は自分の中にずっと残ってた。

残ったままトロントへ行き、バンドやりながら数年を過ごして
なんやかんやあって東京へ戻ってきてすぐ、
現地で知り合ったプロミュージシャンの皆さま
(つまり、岩瀬さんや目木さんたち)
に、おかえり飲み会を開いてもらった。
渋谷駅の近くだったな。

「日本でもっかい音楽やりたい」という話とともに、19・20で才能がないと言われたことがひっかかっていることをこぼした。

ミュージシャンの皆さま、そのとき4人いて4人とも
「才能ないとか言ってるそいつにまず素質がない」
と話してくれた。

才能なんてあるとと思ったもん勝ち。
そもそも才能とか言い始める時点でダウト。
というようなこと。

その時わたし24歳。(かな?)
そうなんですかね?とあまりよくわかってなかったけど、今ならわかる。
才能という言葉が指し示すものがなんなのか。
持って生まれたものと、生まれてから伸ばせるもの
生きていくうちに感じて、つかんで、モノにしていくものとは
ぜんぜん別ってこととか。

時は流れていま、わたし36歳。
こないだ16年ぶりに言われてしまった。
「お前はメロディーメーカーではない」。
つまり、メロディーを書く才能がない、ということ。

付き合いも長くなり、とても信頼している
この人がいなければ今の私はいない!という人に言われた言葉。

今回もやっぱり、胸の中に投げ込まれた石みたいになってる。
音声はループし、感触はカチカチで、
小さくも溶けそうもない礫となっている。

でもあの頃と違うのは、
「そうだとしても、今後にあんまり関係ない」と思えていること。

才能やセンスの正体があの頃よりは見えている今、
そして生きていく原動力のひとつが曲を作ることである今、
才能の有無は、音楽をやめるやめないという選択には、もう干渉できないのだ。
誰かに何か言われたからってどうにかできることでは、もはやないのだ。

なんだったら、自分に才能がないかもしれないことなんて
もうすっかり対峙しきって、戦いきって、
ぼろぼろで握手して、まぁこれから仲良くやっていこうやと
横並びで明日を見ている、すでに戦友みたいになっている。

とか言いつつ、やっぱりカチカチの礫でもあるので
言葉にしていったん整理するために、ここに書きました。

ちなみに「メロディーメーカーではない」と言ったその人は
ぐちゃぐちゃにウツだった私へ、今後の指針のひとつとしてそれを言ってくれたので
なんというかとても真っ直ぐに受け止めています。
ムカついたりしてない。

その発言をいつか返上させてやる!とは思ってるけどな!


…それにしても今考えると、
mixiで出会った彼は何者だったのか?
何で私は会うことにしたのか?笑

経歴も実績も何もかも知らない人の言うことを
どうしてあんなに間に受けてたのかなーと思う。
(今もそういうところはあんまり変わらないけど)

お名前覚えてます。
どっかで私のこと見てたりしないかしら。
今も元気に歌ってますよ。


かえで

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