私の真実を伝える道具が言葉でなかったら良かったのか。
私の真実を伝える道具は、かぼちゃの煮つけであってもよかったかもしれないのだ。
私は私の真実を伝える道具に、いつしか歌を選んでいたのだけど、
歌には言葉が必要で、その言葉がもうすっかり私を脅かしている。
どんな言葉を選んでもそこに真実がないのだ。
心の中にだけ真実があって、
それを伝えるために・表現するために言葉ができたのはわかっているんだけど
私が発する言葉のすべてに、私の真実はないのだ。
。。。
あ、でもこの文章には
私の真実があるな。
k
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