自死についてよく考えます。
自死がなぜいけないか、特定の宗教を積極的に信仰しない私にとってその理由は、「まわりの人が悲しむ・困るから」に他なりません。
自死にたどり着くまで、実行するまで、本人がどれだけ迷おうが苦しもうが逆に、諸手をあげて飛び込もうが、行為に及べばそれでお終いです。
自分が死んだあと、苦しんだり大変だったりするのははまわりの人です。
自死は
別にいけなくない。
いけないとしているのは思想信条、宗教、人間関係です。
。。。
生きている私にとっては、生きていることが当たり前です。
生きている私は、死が恐ろしくてたまらなくなることもあります。
でも、生と死が
どっちが此方で、どっちが彼方かが
自分の中でクルッと逆転してしまった経験があります。
此方に死があったとき、
自分がいま属しているのが生である
その現状が苦しかった。
体の上下が逆さになって、内側からドサッと崩れていくような感覚がありました。
「死にたい」とシンプル言葉にできるような、
”願望”ではなかったです、あれは。
。。。
死が此方にあって、
それに手をかける勇気が湧いたのなら
人は自分で自分を死へと連れていくでしょう。
残された私には、
決断し、実行したその人が死の先で
安らかであることを願うことしかできない。
かえで
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