ホステルにいた10日間のうちにネットで見つけたシェアハウス。1階は中国人のご家族がお住まいで、私を含む3人の日本人で2階をシェアするスタイルでした。 シェアメイトのひとりは、ちょっとだけ年上の「姉さん」。小柄でスタイルが良くて美人で明るい。話好き。 ALDO の靴が好き。 もうひとりは姉さんと同い年くらいだった「兄さん」。DJをやっていて、レコードをたくさん持ってた。温厚で背が大きい。キャップとオーバーサイズファッション。 我々の距離感は絶妙だったと思います。近づきすぎず、でも離れすぎず、一緒にご飯を食べることも飲みに行くこともあったけど、「仲良くやってこうぜ」みたいな熱い感じはなかった。 3人っていう人数も良かったのかもしれません。人数が多くてもっとワイワイしていたら、そこだけの付き合いで生活が満たされちゃってたかも。 居心地のよい家を手に入れ、次の課題は仕事でした。 日本から持ってきたお金は大した額ではなく、すぐ働きはじめなきゃいけなかったし、何より目標としていたのは「ライブミュージックのある場所で働く」こと。 そういうところで働けば、ちょっとお前歌ってみなよという話がいつか立ち上がり、やがて歌えるようになるのでは!?という夢を描いていたのです。 「toronto live music bar」の検索ワードでお店を探したり、街を歩いて「hiring」(働く人募集中)の張り紙を探したり。それらしき場所を見つけたら、履歴書を持って突撃です。「ここで働かせてください!」私は千と千尋の千か。でも本当にやっていたのです。 でももちろん結果は散々。英語もろくにしゃべれない馬の骨を雇ってくれるチャレンジ精神旺盛なお店なんて、そうそうあるものではありません。 それと同時にやっていたのは、ネットの掲示板に「私を雇ってください」ポストを載せること。 「21歳日本人、女、音楽のある場所で働きたい、ゆくゆくは歌いたいです」。 これ、私よく無事だったなぁ。笑 仰天ニュースでやってそうな惨劇ドキュメンタリーの導入部分みたいですね。 でも本当にやっていたのです(2回目)。 当然というか何というか、なかなか働く場所は見つかりませんでした。 仕事が決まらないことには街をブラブラしてみる気にもなれなくて、とにかくまずは生活の基盤を作らないと…!と、いったん音楽から離れた職場を探すことにしました。 ...
小林楓(シンガーソングライター)の日常に関するなんでもない話を書くところです。たまに大事なことも書きます。