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6月11日

「生命のかたまり理論」ていうのを勝手に提唱しています。

万物の生命はもともとひとつのかたまりとして存在していて、地球上に器(身体だったり、芽だったり、卵だったり)が生成されると、そのかたまりから生命がポコンと分離して器に入る。
器が機能不全になっていわゆる死を迎えると、生命はかたまりへと還っていく。

というのも、
「器が誕生するたびそこに新しい生命が芽生える」って、ものすごくメモリを使いそうじゃないですか?
なんかシステムとしてすごい難儀なかんじ。

でも、大元があれば一個体分の生命を切り分ければいいだけ。そっちのほうが簡単そうだし、時間もかからなそうだし…という理由です。
("理"論でもなんでもないというツッコミはガマンだ)

で、今シャワーを浴びながらまた空想していて、「生命のかたまり理論」を発展させた「地球テーマパーク理論」にたどり着いてしまった!

地球(ハビタブルな惑星)は、宇宙外生命たちのテーマパークなのではないだろうか…!

つまり宇宙外に存在する生命たちが、ちょっくらバケーションなのか、ビジネスな出張なのか、友達とちょっと遊びになのか理由動機はそれぞれに、地球での暮らしをエンジョイするために我々という器を使っているのです。

地球での暮らしに支障が出るので、こっちにいるときは宇宙外での記憶は封印されている。
で、地球で死んだら宇宙外にある本来の肉体へ戻るのだ。

というのも(2回目)
死とは何だと思ったときに、生を終えるために準備されているものではないか?という考えがふとよぎったわけです。

っあーなんでそう思ったんだっけな?
忘れてしまった。。
ガシガシ頭を洗っていたときに、ッッは!!!って雷が落ちたのに。
泡と一緒にさよーならしてしまったようです。

まぁとにかく、生を終えるための死なのである。
なぜ終えなければならないか。
それは元いた場所へ、最終的には戻りたいから。

…ってこんな喜々として書いてますが、「地球は宇宙人によるシュミレーション器具説」はすでに公になってます。
地球は、じゃなくて、人間は、だっけな?

だってさ、宇宙には外側があって然るべきなんですよ。
そうじゃないとビッグバンの意味がわからないもん。

こういうことを考えれば考えるほど、色々なことがほんとにくだらなく、滑稽に思えます。
せっかくテーマパークに来てるんだから、細かいこと言ってないで楽しもうぜ。

あ、あとね
善悪に関して人間の認識の仕方には限界があるんだなとも考えてました。
善をする人は悪を知ってる。
悪をする人は善を知ってる。
善悪にボーダーラインを引くことはすごく難しいけど、何が善で、何が悪かを、善人も悪人も知っている。

ってことは人間って悪を働いてしまう善なのかも。


かえで

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