自分らしさとは何だろう。
自分らしさとは「奔放であり、自由であること」という先入観が私にはあった。
何にも縛られず、誰の言うことにも耳を貸さず、自分の思ったことだけを信じていく。
それは私からかけ離れていることだった。
私は言葉や前提に縛られるし、すぐ影響を受けるし、自分を疑うことが得意だから。
だから、そこから解き放たれねばと思っていた。
解き放たれれば、自分らしさに手をかけることができると。
でもさっき天啓があった。
夕食にほっけを焼いてた時だった。
私、小林楓の自分らしさとは
「言葉や前提に縛られるし、すぐ影響を受けるし、自分を疑うことが得意」なところなのではないか?
私は、自分自身が過去や歴史や人間関係から独立した存在ではないと知っている。
私は他人と、他人が過ごした時間と、他人の過去と、世界の過去と密接にネトネトと関わって合わさって交わって成り立っている。
小林楓の自分らしさとは、
その関わりについて詳しく知りたい
知らねば自分の出どころがわからない
と思っているところにあるのではないか?
という気付きが、魚の焼ける匂いとともに鼻の穴から入ってきたのだ。
なんか続きが書けそうで書けないので終わり。
ほっけは大変旨かった
かえで
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