小鍋でお湯を沸かしながら
水がお湯に変わっていく、その様をなんとなく見ていた。
鍋の底に泡のようなものが現れる。
渦を巻くように立っては消える。
水面がゆらゆらと揺れてきて、次第に大きくなる。
泡が底から水面へと次々浮かび上がり、その泡はどんどん大きくなってくる。
気が付けば鍋の中はグラグラと煮えていた。
手を突っ込んだらとんでもないことになるだろう。
この様子を見ていて、あー怒りみたいなだなと思った。
頭や胸の中の温度がどんどん上がって泡立って、やがて爆発しそうな熱を帯びていく怒り。
…で、ハッと気付いたのです。
「怒りではらわたが煮えくりかえる」
という表現がすでにあることを。
つまりこの表現をいっっっちばん最初に使った人も、「お湯が沸騰する様子と怒りは似ている」と思ったってことだ。
その時すでに言葉があったか、まだなかったかはわからないけど、スーパー大昔にこの表現を使った人と同じ心境に私は今日至ったのだ。。
ちょっと感動した。
今までは誰かに与えられ、教えられ、降ってくるものだった言葉が、今日初めて私の中から生まれたような気がした。
数年前、言葉での表現についてチンチンに行き詰まっていた私は、何かのヒントになるかなと思って「感情類語辞典」という本を買ってみた。
こういう気持ちを表すには、こういう表現があります。こんなのもあります。という例がズラッと載っているやつ。
ほんとにズラッと並んでいた。すごい情報量だった。
でもパラパラめくってすぐに手放してしまった。
たくさんの言葉が目の上を滑っていっただけ。
その理由が今日のことでちょっとわかった気がする。
あの本に並んでいた言葉は自分ごとじゃなかったんだ。
自分のものとしてとらえられなかった、とらえられるまで粘らなかった。
読んだだけで納得できると思っていた私の考えが甘かった。
今日私は、自分の中から言葉が生まれる感覚を得ることができた。
この感覚を育てていきたいなぁ。
かえで
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