誰かが認められているのを見ると、自分が否定されているように感じてた。
「成功しているあの人と同じことができないから、お前はダメなんだ」
「あの人が注目されているのは、作り出すものに価値があるから。お前が注目されないのは、作り出すものにもお前にも、価値がないから」
だから、音楽を聴くのが嫌だった。
みんなみんな素晴らしくてかっこよくて、私だけが下手くそでダサくて意味がなくて。
最近まで、ほんっっとうに心から、そう思っていたんですよ。
でも、なんとそんな思いは全部、幻だったんです。
誰かが誰かを褒めているとき、私のことはダメだと言われている気がしていた。
これって完全なる私の勝手な妄想だったって気づいたの。
こういう考え方をしてた最初の記憶って高校生の頃で。
年月をかけて、考え方の癖が強く、タチ悪くなってしまっていたんです。
(私はこれを「心に折り目がつく」と呼んでいる)
何が言いたいかというと、
上記のような考え方が膨張して、変形して、腐敗して、ある一線を超えると、リア充死ねとか、私の不幸は周りのせいだ、みたいなことになっちゃうんだろうなと思う、ということ。
私は気づくことができて、意識的に折り目を伸ばそうとしているし、
「そんなの妄想だ、このバカタレ」と言ってくれる人が周りにいる。
でも自分で気づけなかったら、気づけるようなきっかけがなかったら、
誰も何も言ってくれなかったら、どうなっていただろう?
…と、小田急の事件でいろいろ思うことがありました。
自分の変化はここ最近で急激に起きはじめたことだから、余計リンクしてしまって。
被害に遭われた方、その場に居合わせてしまった方の、心と体、両方の傷が一日でも早く癒えますように。
事件を起こした人が何か傷を負っているとしたら、その傷も癒えますように。
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自分の話に戻ってしまいますが、
「私には価値がない」という考え方は、
私の音楽を聞いたり、ライブへ来たり、私の活動を楽しんでくれている方
応援してくださっている方々、そして
私の創作活動に力を貸してくれている方々
ステージを共にしてくれている方々に対して
感謝と敬意のまったくないものだったということにも気付くことができました。
ごめんなさい。
こんなところで突然謝ってしまうけれど。
本当にごめんなさい。
心についたガンコな折り目を伸ばしながら、
前よりもずっと楽しく、つくって歌っています。
これからもつくっていくので、見ててください。
そんで一緒に楽しくなれたら最高です。
よろしくね!
かえで
9 Aug 2021, 2:50am
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