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2月1日

「どうして人を殺しちゃいけないの?」に対する答えを、ちょっと前から常にうっすら考えています。

誰もが納得できる、誰もを説得しうる、
たったひとつの答えがあるはず。

ついさっきまで、一番の有力候補は
「自分のものではないものを勝手に奪ってはいけないから」
でした。

自分のものではないもの=他人の命、ということ。

でもこれだと、自分で自分を殺すのは許容されることになるのかなー
なんか不足してるな…と
うっすらもやもやしてたんだけど、

さっきシャワーを浴びながらハッとなった、別の案。

「自分の人生がめちゃくちゃになるから」

倫理的にどうかと思う案ではあるんですが、
軸が自分にあるタイプ(他人の為ではないタイプ)の理由として、説得力ある気がする。


人を殺したいという気持ちが暴走しかけている時ってもうすでに、
奪ってはいけないとかそういう、外に向けた気持ちを持てない精神状態にあるはずだから、
殺しちゃいけない理由を自分の中で完結させて、殺さないという選択を取るには
「自分の人生がめちゃくちゃになるから」
この理由はなかなか有効だと思う。


…でも、すでに未来を見ていない人にはまったく効かないんだけど。


そう。そうなんです。
ありとあらゆる状況にいる人に働きかけられる「殺しちゃいけない理由」なんてないんです、きっと。

だから、ありとあらゆる状況を想定して、その状況にそぐった答えをいくつも用意しておくしかないんだろうな。。

誰もが納得できる、誰もを説得しうる、
たったひとつの答えなんて無い。


人が人を殺してはいけないっていう考え方って、いつ頃から生まれたものなんでしょう?
そしてそれが法律として初めて定まったのはいつ頃なんだろ。
法が先なのか、宗教が先なのかっていう疑問もあります。
「殺したい」はたぶん本能に近い。
「殺してはいけない」は理性。


かえで

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